朝日日本歴史人物事典 「片岡仁左衛門(7代)」の解説
片岡仁左衛門(7代)
生年:宝暦5(1755)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名我童,万磨。屋号松島屋。京都の人。初め中村松助,のち浅尾国五郎,一時山沢国五郎。初代は元禄期実悪の名優。その後あまりふるわなかったが7代目が家名を再興。京坂の中芝居で敵役として名をあげ,天明7(1787)年33歳で仁左衛門を襲名,大芝居に出て立役を兼ねた。寛政6(1794)年冬作者並木五瓶と共に江戸下りし都座に出演,「五大力恋緘」の三五兵衛,「忠臣蔵」の師直,「菅原伝授手習鑑」の白太夫などで好評を得た。同9年の評判記で上上吉の位付けとなる。その年冬帰坂,以後主として上方で活躍。65歳の文政2(1819)年に極上上吉,76歳で老功無類と称された。天保7(1836)年11月京都の芝居が最後で,翌年83歳の長寿で没。堂々たる体格で「肥大なる男前」と評された。美声で愛嬌があり,とかく軽いといわれた実悪のほかに,立役,老役,女形も兼ねた。当たり役は松永大膳,日本駄右衛門,佐々木巌流など。生涯健康で舞台を休むことはほとんどなかった。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,守随憲治『歌舞伎序説』
(松平進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報