牧ノ原・牧の原とも書き、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県中南部の市。2005年10月相良(さがら)町と榛原(はいばら)町が合体して成立した。人口4万9019(2010)。
牧之原市中南部の旧町。旧榛原郡所属。人口2万6290(2000)。牧ノ原台地南東部に位置し,東は駿河湾に臨む。古くは相良郷,相良荘があり,江戸中期以降は田沼意次が築いた相良城の城下町,萩間川河口の港町として栄えた。1872年(明治5)に菅山で採掘が始まった相良油田は,太平洋岸で唯一の油田として知られたが,1955年以降休止している。主産業は農漁業で,牧ノ原台地を開析して流れる萩間川,菅ヶ谷川などの小河川の下流域には水田が開ける。傾斜地や台地上はミカンや茶の栽培が盛んで,海岸砂地ではメロン,スイカが栽培される。漁業は近海漁業を中心に行われ,特産物にワカメがある。近年,海岸沿いに走る国道150号線が整備され,東名自動車道相良牧之原インターチェンジも開設されて大企業が進出している。史跡が多く,臨済宗の古刹(こさつ)平田(へいでん)寺には国宝の〈聖武天皇勅書〉があり,江戸時代の民家,片浜の大鐘家住宅は重要文化財に指定されている。
執筆者:萩原 毅
平安時代の《和名抄》の郷名としてみえ,中世は蓮華王院領の荘園であった。また平安時代にこの地に土着し,鎌倉時代に肥後国人吉荘地頭職に補任され,後に人吉藩主となった相良氏の出身地でもある。1576年(天正4)武田氏の遠州侵攻にともなって築城されるが,武田氏滅亡後廃城となる。しかし,近世に入って新町,次いで市場町,前浜町,そして福岡町と順次町並みができた。1710年(宝永7)本多忠晴の入封により相良藩が成立し,とくに58年(宝暦8)に田沼意次が入封して大いに発展した。明和年間(1764-72)には築城が許され,城下の町並みが整備された。また相良湊を拡張・整備して,大坂~江戸間の海上交通の中継港とし,さらに相良湊と東海道藤枝宿とを結ぶ相良街道(田沼街道)を整備するなど,産業の発展がはかられた。しかし,田沼氏が失脚して廃藩,城も破却されるが,その後藩は再興して幕末に至る。
執筆者:本多 隆成
牧之原市北部の旧町。旧榛原郡所属。人口2万5382(2000)。牧ノ原の東部に位置し,駿河湾に面する。牧ノ原には広大な茶園やミカン園が広がり,ほとんどの農家が茶を栽培し,製茶工場も多い。勝間田川や坂口谷川の低地には水田が開け,温暖な海岸地帯はダイコン,スイカ,メロンの産地となっている。養豚,養鶏,ウナギ養殖も行われる。国道150号線が通じ,近年電気機械器具などの工場も進出している。静波海水浴場や豪族勝間田氏が居城した勝間田城跡がある。2009年,北部に富士山静岡空港が開業した。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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