物部(読み)もののべ

精選版 日本国語大辞典 「物部」の意味・読み・例文・類語

もの‐の‐べ【物部】

[1] 〘名〙
令制前の部民の一つ。軍事や刑罰の任に当たった。
書紀(720)雄略七年八月(寛文版訓)「物部の兵三十人を遣はして前津屋并て族七十人を誅殺さしむ」
② 令制で、刑部省所管の囚獄司衛門府・東西の市司(いちのつかさ)に置かれた職員。雑任(ぞうにん)の一種で地位は低く、刑罰の執行に当たった。
令義解(718)職員「物部人。〈掌当罪人。決罰事〉」
※読本・雨月物語(1776)仏法僧従者(みとも)の武士(モノノベ)四五人ばかり右左に座をまうく」

もののべ【物部】

姓氏の一つ。→物部氏

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デジタル大辞泉 「物部」の意味・読み・例文・類語

もののべ【物部】[氏族]

上代の氏族の一。かばねむらじで、大伴氏とともに大和朝廷の軍事・警察をつかさどった大豪族。6世紀後半、仏教受容をめぐって蘇我氏と対立し、守屋蘇我馬子と戦って敗死、一時衰えたが、奈良時代に一族の石上いそのかみ氏が復活。

もの‐の‐べ【物部】

律令制で、囚獄司衛門府市司いちのつかさに所属し、刑罰の執行などに当たった下級職員。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「物部」の意味・わかりやすい解説

物部
ものべ

高知県東部、香美郡(かみぐん)にあった旧村名(物部村(そん))。現在は香美市の東部を占める地域。徳島県と接する。旧物部村は、1956年(昭和31)槇山(まきやま)、上韮生(かみにろう)の2村が合併して成立。2006年(平成18)土佐山田香北(かほく)2町と合併して市制施行、香美市となった。国道195号が通じる。地域は物部川の上流にあたる槇山川・上韮生川流域に展開し、平地に恵まれず、かつては傾斜地での焼畑農業や、役牛飼育が盛んであった。林業を主産業とし、林野率約90%でスギ、ヒノキ用材のほか、コウゾミツマタの産地でもある。また、ユズの栽培も盛ん。中心地大栃(おおどち)は槇山川と上韮生川の合流地にあり、付近には永瀬ダムがある。北部の三嶺(さんれい)(1894メートル)、白髪(しらが)山などの山々と別府(べふ)、西熊などの渓谷は剣山(つるぎさん)国定公園と奥物部県立自然公園域。三嶺・天狗塚(てんぐづか)のミヤマクマザサおよびコメツツジ群落は国の天然記念物。べふ峡温泉がある。「土佐の神楽(かぐら)」は国指定重要無形民俗文化財。

[大脇保彦]

『『続物部村史』(1975・物部村)』

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改訂新版 世界大百科事典 「物部」の意味・わかりやすい解説

物部 (もののべ)

古代朝廷の軍事,刑罰に関与した人々。全国各地に散在し,とくに北九州に多く,一部は朝鮮半島にも移住した。大和朝廷時代の内乱,外征に勇名をはせ,反乱者,捕虜などの断罪にもあたった。大化改新後はその遺制として,囚獄司に40人,衛門府に30人,東西市司に各20人が置かれ,物部丁という仕丁をひきいて刑罰の執行をするが,この物部や物部丁は一般良民から選ばれる。《万葉集》では物部を〈もののふ〉とよみ,〈物部の八十(やそ)少女らが……〉のように枕詞として使っている。また巻二十の〈秋野には今こそ行かめもののふのをとこをみなの花にほひ見に〉では,この項でいう物部だけでなく,しかるべき身分の総称として使われているようである。後世,武士を〈もののふ〉とよぶが,いつからそうよばれたか明らかでない。
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物部 (ものべ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「物部」の意味・わかりやすい解説

物部
ものべ

高知県東部,香美市東部の旧村域。物部川上流域に位置し,北部で徳島県と接する。 1956年槇山村と上韮生村が合体して物部村が発足。 2006年土佐山田町,香北町と合体して香美市となる。大部分が剣山地で,用材を産する。国指定重要無形民俗文化財の土佐の神楽を伝える。北端に三嶺白髪山があり剣山国定公園の一部になっているほか,別府峡谷,奥物部湖周辺は奥物部県立自然公園に属する。

物部
もののべ

大和国家の部民 (→ ) 。物部氏に率いられ,軍事,刑罰にたずさわった。同様の職掌をもつものに久米部 (くめべ) があった。律令制下の物部は,軍制の整備に伴って軍事上の役割を解除され,囚獄司の管轄のもとに罪人の処罰にあたった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「物部」の解説

物部
もののべ

古代,物部連(むらじ)に統率され軍事・警察・刑罰に従事した部民とするのが通説。「もののふ」と読んで武人一般をさすこともある。律令時代には諸国に多数の物部姓の人々がおり,物部郷(里)も20に及ぶ。6世紀に滅びた物部氏の部民がこれほど多かったかは疑問で,また部民であったとしても多くはふつうの農民で,中央の物部氏とそれに従う武人たちの経済的基盤になっていたとみるべきであろう。律令制下では刑部(ぎょうぶ)省の囚獄司に伴部(ともべ)である物部40人が所属して罪人の刑罰を担当し,そのもとに仕丁から選ばれた物部丁20人が武器を帯して獄を守った。衛門府にも内の物部30人がおり,東市・西市には各20人の物部が属して非違(ひい)を禁察した。

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世界大百科事典(旧版)内の物部の言及

【部民】より

…その上部に官人の統率者としての臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)という階層,その下に実務を担当する百八十部(ももあまりやそのとも),そして各職務に応じ生産・貢納に従う品部(しなべ∥しなじなのとも)という,上下の統属関係にもとづくピラミッド型の官司制を成立させたと考えられる。 まず伴として,畿内の中小豪族を任ずる殿部(とのもり)(天皇の乗輿,宮殿の調度,灯火をつかさどる),水部(もいとり)(供御の清水や氷をつかさどる),掃部(かにもり)(殿内の掃除をつかさどる),門部(かどもり∥かどべ)(宮殿の諸門の守衛をつかさどる),蔵部(くらひと)(内蔵,大蔵の出納をつかさどる),物部(もののべ)・佐伯部(さえきべ)(軍事・警察,刑罰をつかさどる)などがあった。部として,畿内やその周辺に居住する帰化氏族,その他を任ずる錦織部(にしこり∥にしごりべ)(絹織物の生産に従う),衣縫部(きぬぬい∥きぬぬいべ)(衣服の縫製に従う),鍛冶部(かぬち∥かぬちべ)(鉄と兵器の生産に従う),陶作部(すえつくり∥すえつくりべ)(陶器の製作に従う),鞍作部(くらつくり∥くらつくりべ)(馬具の製作に従う),馬飼部(うまかい∥うまかいべ)(馬の飼育に従う)などがあった。…

【物部氏】より

…古代の有力氏族。姓(かばね)は連(むらじ)で,軍事・警察のことをつかさどる物部伴造(とものみやつこ)。造(みやつこ),首(おびと)などの姓をもつ配下を従え〈物部八十氏〉とも称された。…

※「物部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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