狭山事件(読み)さやまじけん

百科事典マイペディア 「狭山事件」の意味・わかりやすい解説

狭山事件【さやまじけん】

部落差別に基づく冤罪(えんざい)であるとして無罪を求める運動が続けられている事件。1963年5月,埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明となり,自宅に身代金要求の脅迫状が届けられた。警察は指定の場所に身代金を受け取りに現れた犯人を取り逃がし,女子高校生はその後,死体で発見された。身代金を要求する犯人を前にして逮捕できなかった別の事件とあわせて,マスコミは警察の相次ぐ失態と大きく報じ,国会でも取り上げられた。この状況の下,埼玉県警察本部は狭山市内の被差別部落の見込み捜査を行い,同部落の石川一雄容疑者を別件で逮捕,別件で起訴,保釈直後再逮捕,特設した留置場に監置した。その間を通じて女子高校生殺しの容疑で追及を続け,自白を引き出し,強盗殺人・死体遺棄などで起訴。1964年3月,浦和地裁は半年の審理死刑判決を下した。石川被告は控訴し,同年9月,東京高裁での控訴審の冒頭,自白は警察の甘言・誘導によるものとし,犯行を全面的に否認,弁護団は自白と客観的事実との数多くの不一致を論証した。これにより,救援活動が開始され,部落解放同盟は,逮捕・起訴・審理の過程を貫くのは部落差別だとして大衆的な糾弾闘争を展開した。1974年10月,東京高裁は原判決を破棄,無期懲役有罪判決を下し,被告による上告は1977年8月最高裁により却下された。弁護団はただちに東京高裁に再審を請求,棄却決定に対し最高裁に特別抗告を行い,新証拠を提出したが,1985年5月事実調べなしで棄却された。1986年8月,弁護団は第2次再審請求を東京高裁に提出したが,1999年7月に棄却,弁護団は特別抗告を申し立てた。一方,1994年12月石川服役囚は31年7ヵ月ぶりに仮出獄した。2005年3月,最高裁第一小法廷は第2次再審請求の特別抗告を棄却。2006年5月,弁護団は東京高裁に第3次再審を請求した。2010年5月東京高裁,東京高等検察庁,弁護団と3者協議が行われ,検察側は裁判所の証拠開示勧告を受けて,36点の新たな証拠を弁護団に開示した。さらに,2015年1月第3次再審請求審で東京高等検察庁は事件当時の捜査によって得られた証拠品名の目録を含め,検察側が保管するすべての物的証拠のリストを弁護団に開示した。
→関連項目野間宏部落解放運動

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改訂新版 世界大百科事典 「狭山事件」の意味・わかりやすい解説

狭山事件 (さやまじけん)

1963年5月1日,埼玉県狭山市で帰宅途中の女子高校生が行方不明となり,4日に死体で発見された。その間の2日夜には,脅迫状を送って身代金を受け取りに来た犯人を,張込み中の警官隊が取り逃がした。警察は予断と偏見にもとづいて被差別部落の見込み捜査を行い,23日部落出身の青年石川一雄を別件逮捕して〈犯行〉を〈自供〉させた。被疑者が強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂・窃盗などの〈容疑〉で起訴されると,浦和地方裁判所はもっぱら〈自白〉にもとづいて審理を進め,64年3月11日,石川被告に〈死刑〉を宣告した。石川は控訴し,同年9月10日,東京高等裁判所第二審の冒頭に,先の〈自白〉を翻して〈犯行〉を否認した。事実審理が進められるなかで脅迫状の筆跡,万年筆の隠匿状況,死体処置の状況,地下足袋の大きさなど,〈自白〉と符合しない諸事実が浮かび上がり,事件は部落差別のからむ〈冤罪(えんざい)〉との疑惑が強まった。部落解放同盟をはじめ民主団体・文化人などによって,公正裁判と〈無実〉の被告の釈放とを要求する救援運動が展開されたが,東京高裁は74年10月31日,一審判決破棄・〈無期懲役〉の判決を下し,石川を〈有罪〉と認めた。77年8月9日,最高裁判所は被告の上告を却下し,異議申立てをも8月15日付で却下したため,〈無期懲役〉の刑が確定するにいたった。石川は同年8月30日に再審請求を提出した。これに対して,東京高裁は80年2月7日棄却の決定を下し,81年3月25日には異議申立てをも棄却したため,被告は同月30日に最高裁に特別抗告申立てを行ったが,最高裁は〈新証拠〉の事実調べをせず,85年5月28日,これを棄却した。そこで石川は86年8月21日,東京高裁に第2次再審請求を行った。その後87年8月16日,刑確定より10年が経過して仮出獄の請求資格要件が整い,石川は94年12月21日,37年ぶりに〈仮出獄〉したが,部落解放同盟を中心に,再審の開始と事実調べ,全証拠の開示などを要求する運動が大衆的に進められており,石川自身も,仮出獄が〈無罪釈放〉ではないことから,自らの潔白と第2次再審請求への支援を訴えつづけている。
被差別部落
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「狭山事件」の意味・わかりやすい解説

狭山事件
さやまじけん

1963年5月1日,埼玉県狭山市で起こった女子高校生誘拐・殺人事件。容疑者が被差別部落出身だったことから,差別による冤罪が問われた。逮捕された石川一雄は一審で容疑を認め,1964年3月浦和地方裁判所で死刑判決を受けた。しかし 9月東京高等裁判所での控訴審で,警察に自白を強要されたと一転して犯行を否認。思い込みや偏見に基づいた見込み捜査による冤罪事件として,1969年被差別部落出身学生によって「狭山差別裁判糾弾」を掲げた浦和地裁占拠闘争が始まり,その後部落解放同盟を中心に被告の救援活動,差別糾弾運動が展開された。1974年10月東京高裁は死刑を破棄して無期懲役を言い渡し,1977年8月に刑が確定した。ただちに東京高裁に第1次再審請求の特別抗告が行なわれたが 1985年に棄却され,第2次再審請求(1986)も 2005年に棄却。2006年5月に第3次再審請求が行なわれ,文化人,政治家,市民団体が再審を求めて支援活動を展開している。石川はその間の 1994年に仮釈放された。

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世界大百科事典(旧版)内の狭山事件の言及

【被差別部落】より

…そのためにも,前項〈近・現代の被差別部落〉を受け継ぎながら,近年におこった重要な事項について,年次を追って概観しておくこととしよう。
[狭山事件]
 まず,〈狭山事件〉のことがある。これは1963年5月,埼玉県狭山市で発生した女子高校生の誘拐殺人事件の容疑者として被差別部落の一青年(石川一雄)が逮捕され,取調べの結果,犯行を自白し,64年3月,浦和地方裁判所での第一審判決で死刑の宣告を受けたが,同年9月の第二審(控訴審,東京高等裁判所)法廷で犯行を否認したことに端を発する。…

※「狭山事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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