猿投神社(読み)さなげじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「猿投神社」の意味・読み・例文・類語

さなげ‐じんじゃ【猿投神社】

愛知県豊田市猿投町、猿投山にある神社。旧県社。祭神大碓命(おおうすのみこと)景行天皇垂仁天皇ほか六柱。仲哀天皇元年の創建と伝えられる。三河国三の宮。猿投(えんとう)宮。

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日本歴史地名大系 「猿投神社」の解説

猿投神社
さなげじんじや

[現在地名]豊田市猿投町 大城

標高六二九メートルの猿投山の南麓、大城おおしろに本社、山上の東麓に東宮、西峰に西宮が鎮座し、三社を合わせて猿投三社大明神・三所大明神ともよぶ。三河三宮とも称した。祭神は大碓命・景行天皇・垂仁天皇などである。旧県社。

創建は仲哀天皇の頃とも天智・天武天皇の頃とも伝える。猿投神社から加納かのうにかけての古墳や、亀首かめくび弥生から古墳時代の集落跡が猿投神社とのかかわりがあるとみられるところから、創建年代は三―五世紀に推定されている。「延喜式」神名帳の賀茂郡七座のうちに「狭投サナケノ神社」と記す。また「文徳実録」仁寿元年(八五一)一〇月七日条に三河国内一〇神とともに従五位下が授けられている。「三代実録」の貞観六年(八六四)・一二年・一八年・元慶元年(八七七)にも各々階位が授けられている。藤原時代の神宮寺関係の仏像としては、猿投神社観音堂安置の千手観音菩薩立像、旧西宮本地仏の観音菩薩像(山本竜夫氏蔵)があり、平安時代末期に神仏習合が完成していた。

社殿西南の杉の木の下に、白鳳期の伊保の白鳳いぼのはくほう寺のものと推定される径一・一三メートル、高さ三九センチの寺塔心礎が残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「猿投神社」の意味・わかりやすい解説

猿投神社 (さなげじんじゃ)

愛知県豊田市猿投町に本社が鎮座。式内社。三河国三宮で西三河一の大社。旧県社で1946年国幣小社に昇格が内定したが実現しなかった。祭神は現在大碓(おおうす)命を主神として,垂仁・景行天皇を配祀するが,このようになったのは室町末期ないし近世初頭のことと思われ,六国史には〈狭投(さなげ)神〉とある。尾張と三河両国にまたがる猿投山に対する信仰よりはじまった神社と考えられ,その南麓に本社が,山上の東西に東宮・西宮が鎮座する。このため中世以来,三所大権現,三所大明神とも呼ばれた。江戸時代からの伝承に基づき,1875年教部省によって確定された〈大碓命御墓〉が西宮の後方にあり,宮内庁が管轄している。

 鎮座年代は仲哀,天智,天武天皇代などと言われているが不詳。しかし,付近には古墳やそれ以前の遺跡も多く,創祀は古代にさかのぼるものと思われる。779年(宝亀10)の奥書を持ち,大碓命が猿投山で遭難したと説く《縁起》は近世初頭の仮作である。《文徳実録》仁寿1年(851)条の従五位下叙位の記事を初見として《三代実録》にも見え,従四位下まで昇っているが,《三河国神名帳》や社蔵の嘉元2年(1304)銘の神号額には正一位とある。神宮寺を白鳳寺といい,その併設を江戸時代には白鳳時代と言っているが,白鳳寺という寺号の初見は1566年(永禄9)。しかし,神宮寺は遅くとも平安時代には確立している。宗派は真言宗で,坊は南北朝以降,延べ45坊を数え,同時に最高17坊の存在が確認される。排仏毀釈によって社僧は還俗し,坊舎は取り払われたが,境外の観音堂だけが残っており,藤原期の仏像がある。本地仏は本社が阿弥陀如来,東宮が薬師如来,西宮が観音菩薩で,本社を繁行(はんぎよう)(半行とも),東宮を覚満大菩薩,西宮を智満権現とも称した。

 鎌倉中期以降,高橋荘地頭中条(ちゆうじよう)氏の庇護を受け,1592年(文禄1)には豊臣秀吉が神領として776石を安堵,江戸幕府もこれを朱印地として認めたが,この石高は三河の神社中で最高。その配分は本社社家・社僧が各250石,東・西両社社家が276石であった。例祭は旧暦9月9日であったが現在は10月第二日曜。前夜,東・西両社の神霊を神輿で本社に迎え,翌日三社の神輿の前で神事が行われる。この日は献馬と,棒の手(ぼうのて)(棒術)の奉納があるが,江戸時代には尾張・三河・美濃3国の180余ヵ村から献馬があった。社宝に樫鳥糸威鎧(かしどりいとおどしのよろい),兵庫鎖太刀黒漆太刀(以上,重要文化財)のほか,《古文孝経》《白氏文集》《論語集解》《史記集解》《帝範》《臣軌》《文選》《春秋経伝集解》(以上,重要文化財)や《本朝文粋》《三五要録》《日本書紀》《平家秘巻》《三河国神名帳》などの古写本と,約300点の中世文書・記録,棟札などがあり,その質と量において三河国神社中の第一である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「猿投神社」の意味・わかりやすい解説

猿投神社
さなげじんじゃ

愛知県豊田(とよた)市猿投町に鎮座。古くは「狭投(さなげ)」につくる。近世に入り猿投宮(えんとうのみや)、猿投堂と俗称。大碓命(おおうすのみこと)を主神とし、景行(けいこう)天皇・垂仁(すいにん)天皇ほか6柱を配祀(はいし)。『文徳(もんとく)実録』仁寿(にんじゅ)元年(851)10月乙巳(7日)の条に、狭投神に「授従五位下」とみえ、国史上の初見という。延喜(えんぎ)の制(927)では国幣(こくへい)の小社に列せられ、のちに三河(みかわ)国の三宮(さんのみや)となる。『三河国内神名帳(じんみょうちょう)』では「正一位猿投大明神 坐賀茂郡」と記される。1592年(文禄1)豊臣(とよとみ)秀吉は神領776石を寄せ、徳川氏も代々これを朱印地として認めた。別当(べっとう)は白鳳(はくほう)寺と称したが、明治維新の際、廃された。1872年(明治5)県社に列せられる。10月第2日曜日とその前日の土曜日に行われる猿投まつりでは、神前で「棒の手」(棒や槍(やり)、真剣、鎖鎌(くさりがま)などで演じる武技)が奉納される。国重要文化財指定の太刀(たち)(銘行安(ぎょうあん)、拵(こしらえ)兵庫鎖太刀)や「古文孝経」(建久(けんきゅう)6年〈1195〉4月の書写、現伝する最古の完本)をはじめ宝物は多い。

[三橋 健]


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デジタル大辞泉プラス 「猿投神社」の解説

猿投神社

愛知県豊田市にある神社。“猿投”は「さなげ」と読む。祭神は大碓命(おおうすのみこと)。10月に行われる猿投まつりでは伝統芸能「棒の手」が奉納される。

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