玄中寺(読み)げんちゆうじ

日本歴史地名大系 「玄中寺」の解説

玄中寺
げんちゆうじ

[現在地名]八戸市柏崎五丁目

現在の柏崎かしわざき五丁目の南、かつての下組しもくみ町の中央の南に位置する。万寿山と号し、日蓮正宗本尊曼荼羅。元治元年(一八六四)の開創で、開山は日英とされる(八戸藩史料)一説では安政三年(一八五六)の開創ともいう(新撰陸奥国誌)。九代藩主南部信順の信仰を得て、藩主の別荘地の田屋跡に建立され、金一〇両・三人扶持を給された(八戸藩史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「玄中寺」の意味・わかりやすい解説

玄中寺 (げんちゅうじ)
Xuán zhōng sì

中国,山西省交城県の標高900mにある寺。文水に面した石壁山の山号をもつ玄中寺は,中国でもっとも由緒ある浄土教寺院である。北魏曇鸞(どんらん)が,浄土教へ回心して,晩年にこの寺に住した。のちに涅槃経を修めていた道綽(どうしやく)が,609年(隋の大業5)48歳のときにこの寺にきて曇鸞の碑文をよみ,浄土教に帰したとされる。さらに善導が,この寺に道綽を訪ねて教えを請うた。つまり浄土宗の三祖ゆかりの仏跡として知られる。唐代には隆盛をきわめ,795年(貞元11)には甘露義壇が設けられ,長安の霊感壇,洛陽の会善壇と並んで天下三戒壇の一つとなった。大雄宝殿前庭に〈石壁山鉄弥勒像頌碑〉と〈唐石壁禅寺甘露義壇碑〉の二つの唐碑があり,七仏殿には印相の異なる7体の阿弥陀如来像が並び,また日本から贈られた曇鸞・道綽・善導三師の画像をまつる三祖堂もある。
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世界の観光地名がわかる事典 「玄中寺」の解説

げんちゅうじ【玄中寺】

中国の山西省交城県にある石壁山の、標高900mの奥深い山中にある寺院。省都・太原(たいげん)(タイユワン)市から約70km、バスで2時間ほどのところに位置する。浄土宗の開祖・曇鸞(どんらん)が、北魏の時代の西暦472~476年に開山したとされる。のちに第3代天台座主となった円仁(慈覚大師)や日本で浄土宗を広めた法然が訪れ、修行した古刹(こさつ)でもある。境内には、天王殿、大雄宝殿、七仏殿、千仏閣などの建物があり、歴代仏像石碑がある。

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