玄賓(読み)げんぴん

精選版 日本国語大辞典 「玄賓」の意味・読み・例文・類語

げんぴん【玄賓】

[1] 法相宗の僧。弓削(ゆげ)氏。河内の人。出家して興福寺の宣教唯識を学び、高徳をもって聞こえたが、名利をきらって馬子または渡守などになって菩薩行を修め、後、伯耆(ほうき)山中にかくれた。延暦七八二‐八〇六)の頃、勅によって律師、続いて僧都に任じられたが固辞して受けず、西国に遊び、備中湯川寺に住した。天皇が病気のときは召されて祈祷(きとう)することはあっても、ただちに去って隠棲を好んだ。年八〇余で弘仁九年(八一八)没。
[2] 〘名〙 「げんぴんそうず(玄賓僧都)」の略。
※俳諧・広原海(1703)七「玄賓に貰へ水鶏夏衣

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朝日日本歴史人物事典 「玄賓」の解説

玄賓

没年:弘仁9.6.17(818.7.23)
生年:天平6(734)
平安前期の法相宗の僧。河内国(大阪府)の人。俗姓は弓削氏。宣教に学び興福寺に属するが,伯耆国(鳥取県西部)に隠棲。延暦24(805)年桓武天皇の病気平癒を祈るために召還される。翌年に大僧都に任じられたが辞職し,備中国哲多郡(岡山県阿哲郡)の湯川山寺に移り住む。その後,平城上皇の病気平癒のために再び召還され,以後,嵯峨天皇に信任された。弘仁5(814)年に備中国に戻る。玄賓の在世中,同国哲多郡の庸米は免除され,民費は軽減された。晩年に伯耆国に阿弥陀寺を建立したという。行賀らと共に法相六祖のひとりで,興福寺南円堂に坐像が残る。隠遁者,歌人の印象から生まれた伝承説話集に載る。

(岡野浩二)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玄賓」の解説

玄賓 げんぴん

?-818 奈良-平安時代前期の僧。
河内(かわち)(大阪府)の人。法相(ほっそう)宗。興福寺の宣教にまなび,伯耆(ほうき)(鳥取県)に隠遁(いんとん)。延暦(えんりゃく)24年桓武(かんむ)天皇にまねかれ病気平癒をいのり,翌年大僧都に任じられるが辞退。大同(だいどう)4年嵯峨(さが)天皇の命で平城(へいぜい)上皇の病気回復を祈願。嵯峨天皇に信任され,隠棲地の備中(びっちゅう)(岡山県)哲多郡の庸米は免除された。弘仁(こうにん)9年6月17日死去。八十余歳という。俗姓は弓削(ゆげ)。

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