玉の井(読み)タマノイ

デジタル大辞泉 「玉の井」の意味・読み・例文・類語

たま‐の‐い〔‐ゐ〕【玉の井】

よい水の出る井戸。また、井戸の美称。たまい。
「我ならぬ人にくますな行きずりに結び置きつる―の水」〈風雅・雑中〉
[補説]地名曲名別項。→玉の井(地名)玉井(曲名)

たまのい【玉の井】[地名]

東京都墨田区東向島にあった私娼窟永井荷風が「濹東綺譚」で描いた所。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「玉の井」の意味・読み・例文・類語

たま【玉】 の 井(い)

(い)の美称。また、清らかなわき水や井戸。たまい。
※新後撰(1303)釈教・七一〇「すみそめし元の心の清ければ濁りもはてぬ玉の井の水〈実聴〉」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「玉の井」の解説

玉の井
たまのい

第二次世界大戦直後まで寺島てらじま町一帯にあった花街(銘酒屋街)の通称。大正七年(一九一八)頃、浅草区千束せんぞく(現台東区)の浅草寺観音堂裏手の道路拡張の際、洋弓場や私娼街を兼ねる銘酒屋の一部が寺島町の大正道路両側に移転、次いで伝法でんぽう(現台東区)の横手辺りからも同業者が続々移転し、大正道路両側一帯は軒並み銘酒屋となった。関東大震災後は千束町に残っていた同業者も一緒になり、銘酒屋街玉の井の名は一躍有名となる。当初玉の井と東京市中を結ぶ路面電車は白鬚しらひげ橋方面の一路線だけで、昭和四年(一九二九)に京成電車(現京成押上線)が路線を変更して玉の井通過を廃止するまでは同線の停車場付近が盛り場の中心であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉の井」の意味・わかりやすい解説

玉の井
たまのい

東京都墨田(すみだ)区東向島五丁目へんにあった銘酒屋形式の私娼(ししょう)街。浅草十二階下の私娼街が1918年(大正7)ごろに移転させられたものを中心に発展した。抱え女は一軒に2人以内が原則で、通勤女や女主人売春もあった。強制売春も多かったが、前借金のない女が40%前後おり、高級とはいえないが独特の雰囲気をもつ私娼街であった。迷路のような路地続きに掲げた「抜けられます」の表示と、永井荷風著『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の舞台として有名。

[原島陽一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「玉の井」の解説

たまのい【玉の井】

高知日本酒。酒名は、白玉のような清水が湧き出る井戸から仕込み水を汲んでいたことにちなみ命名。平成5、11~13、15、20年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は松山三井など。仕込み水は安田川の伏流水蔵元の「南酒造場」は明治2年(1869)創業。所在地は安芸郡安田町安田。

たまのい【玉の井】

岐阜の日本酒。酒名は謡曲「玉の井」にちなみ命名。純米大吟醸酒、大吟醸酒、吟醸酒がある。平成11年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米はひだほまれなど。仕込み水は北アルプス山系の伏流水。蔵元の「二木酒造」は元禄8年(1695)創業。所在地は高山市上二之町。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android