玉之浦(読み)たまのうら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉之浦」の意味・わかりやすい解説

玉之浦
たまのうら

長崎県南松浦(みなみまつうら)郡にあった旧町名(玉之浦町(ちょう))。現在は五島市(ごとうし)の南西部を占める。旧玉之浦町は1933年(昭和8)町制施行、2004年(平成16)福江(ふくえ)市、富江(とみえ)、三井楽(みいらく)、岐宿(きしく)、奈留(なる)の4町と合併、五島市となる。旧玉之浦町域は、五島列島福江島南西部と架橋された島山島(しまやまじま)からなり、国道384号が通じる。周辺は山地で、中央部に玉之浦湾を抱く隔絶した寒村であったが、明治末年から延縄(はえなわ)漁業の基地として開発され、さらに、大正期には延縄から以西底引網漁業に進展し、1930年には人口1万を超える漁業基地の町として繁栄した。しかし、1936年には船団の基地は長崎・博多(はかた)・下関(しものせき)へ移動し、町はしだいに衰微した。現在は半農半漁の町。玉之浦湾は町の中央部に湾入するリアス海岸の内湾で、波静かな良港のため、古来、避難港や航海基地として利用され、今も東シナ海漁業の避難港。漁業の主体は零細な一本釣り、延縄で、1952年真珠養殖、1966年エビ養殖を導入し、養殖漁村として再起を図っている。西海国立公園(さいかいこくりつこうえん)の観光基地をなし、東シナ海に臨む大瀬崎(おおせざき)の断崖(だんがい)や灯台雄壮景観を示す景勝地である。その近くには、井持浦(いもちうら)教会がある。同敷地内の洞窟(どうくつ)には井持浦ルルド(フランスの聖地ルルドを模した霊泉)があり、巡礼者を集めている。大宝(だいほう)には「西の高野(こうや)」とよばれる大宝寺がある。見物人に砂を打ちつけて疫病退散を願う行事「大宝郷の砂打ち(だいほうごうのずなうち)」は国の選択無形民俗文化財。荒川温泉は五島随一の温泉地で、宿泊施設や温泉センターもある。荒川湾奥の矢ノ口にあるヘゴ自生北限地帯は国の天然記念物。

[石井泰義]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉之浦」の意味・わかりやすい解説

玉之浦
たまのうら

長崎県五島列島南部,福江島の南西部地域。旧町名。 1933年町制。 2004年8月福江市および富江三井楽岐宿奈留町の1市4町と合併し五島市となった。西海の漁場に近く,早くから漁業が盛ん。天然の良港玉之浦湾があり,大正から昭和にかけて,外来の機船底引網漁船群の根拠地として栄え,町制の施行も早かった。しかし,1937年には根拠地が廃止。現在では避難港として利用され,漁業は一本釣り,延縄漁業が主。 1952年真珠養殖,1966年エビ養殖を導入,養殖漁業への転換を進めている。農業では米作と畜産が行なわれる。湾に面して荒川温泉,南西端に大瀬崎の断崖,大宝に大宝年間 (701~704) に開かれたと伝えられる大宝寺,井持浦に天主堂など,旧跡,景勝地が多く,ヘゴ自生北限地帯は天然記念物。地域の大部分が西海国立公園に属する。国道 384号線が通る。

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改訂新版 世界大百科事典 「玉之浦」の意味・わかりやすい解説

玉之浦 (たまのうら)

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