玉泉寺(読み)ぎょくせんじ

精選版 日本国語大辞典 「玉泉寺」の意味・読み・例文・類語

ぎょくせん‐じ【玉泉寺】

[一] 中国、湖北省当陽県にある禅宗の寺。もと天台宗。隋代に、天台大師智顗(ちぎ)が創建したと伝えられる。
[二] 静岡県下田市にある曹洞宗の寺。山号瑞龍山。天正年間(一五七三‐九二)俊栄が創建。安政元年(一八五四ハリス来航の時、その領事館にあてられた。

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デジタル大辞泉 「玉泉寺」の意味・読み・例文・類語

ぎょくせん‐じ【玉泉寺】

静岡県下田市柿崎にある曹洞宗の寺。山号は瑞竜山。天正年間(1573~1592)俊栄の開山。幕末、ハリスの着任後はアメリカ領事館となった。

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日本歴史地名大系 「玉泉寺」の解説

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]虎姫町三川

三川みかわ集落のほぼ中央にある。創建は延暦寺中興の祖良源の生誕にかかわるとされ、天元四年(九八一)と伝える。栄光山と号し、天台宗。本尊は慈恵大師。「宣胤卿記」文明一三年(一四八一)五月一六日条によれば、円明坊兼勝の仲介で、中御門宣胤が「三河村慈恵大師御堂」建立のための勧進状を清書したことが知られる。当寺はこの大師堂が寺院化したものであろう。「輿地志略」によれば、織田信長の兵火で烏有に帰したあと、慶長年間(一五九六―一六一五)に再興したという。「天台座主記」良源の項に「浅井郡岳本郷人、木津氏」とあり、生地を「和名抄」記載の浅井あざい岡本おかもと郷に比定する説がある。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]月夜野町下牧

下牧しももくの東部字東山ひがしやまにある。曹洞宗、三峰山と号し本尊釈迦如来。もと双林そうりん(現北群馬郡子持村)末で、文明二年(一四七〇)沼田長忠が双林寺二世一州正伊を開山に招いて創建したと伝え、「日本洞上聯燈録」の正伊の項に「上州沼田長忠号恕林新建玉泉寺、請師為開山之祖」とある。文明一六年の正伊の遺誡を寺蔵。天正一〇年(一五八二)真田昌幸は玉泉寺分のうち二貫文の地を山口掃部介に宛行っているので(同年一〇月三日真田昌幸判物写「長国寺殿御事蹟稿」所収)、この頃寺領を有していたとみられるが詳細は不明。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]狛江市東和泉三丁目

小田急線和泉多摩川いずみたまがわ駅の東側にある。能野山観音院と号し、天台宗。本尊は薬師如来、ほかに観音堂がある。現在の寺地は立川段丘が多摩川に接近する箇所の上に位置しているが、旧境内地は西隣の低地に比定される。旧境内地は多摩川本流が大きく北側に蛇行した際に削りとられ、遅くとも元禄六年(一六九三)以前には現在地に移転していた(元禄六年「玉泉寺白幡明神社中見分絵図」玉泉寺蔵)

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]青梅市長渕

寺ヶ谷戸てらがいとにある。金剛山と号し、臨済宗建長寺派。本尊十一面観音。文保年間(一三一七―一九)鎌倉建長寺一〇世太古世源の草創と伝え、一二世紀の阿弥陀像があり、また境内の釈迦堂には平安期作という中尊、鎌倉期から室町期にかけての作とされる脇侍が安置されていた。寺内に建長年間(一二四九―五六)と正応元年(一二八八)造立の大板碑があり、これを含めた寺域内の板碑は五八基を数える。

玉泉寺
ぎよくせんじ

京都市東山区轆轤ろくろ町・あたらシ町辺りにあったと考えられる寺。創建・開基・寺地ともに明らかでないが、寺名は中国州の古刹玉泉寺にならうものであろう。「五鳳集」に「春初、遊玉泉寺、呈主翁寂芳和」と題する詩文が載り、また桜井基佐の和歌に「玉泉寺にて人々歌よみけるに」の詞書をみる。その後「応仁記」に応仁元年(一四六七)八月焼亡したとみえ、廃絶したと思われる。なお同書は玉蟾ぎよくせん寺と記す。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]下田市柿崎

南に下田港を望む位置にある。瑞龍山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。国指定史跡。寺伝によれば真言宗の小庵を天正年間(一五七三―九二)に俊栄が改宗したという。嘉永七年(一八五四)三月に締結された日米和親条約により下田が開港され、それに伴う下田条約によって当寺は米人休息所に指定された。また同年の津波後、ロシア使節プチャーチンの応接所ともなった(「魯西亜応接御用留」内閣文庫蔵)。安政三年(一八五六)七月米国初代総領事ハリスが下田に来航し、八月五日当寺は日本最初の米国総領事館となった。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]長瀞町長瀞

宝登ほど山の西麓、宝登山ほどさん神社の北西にある。会慶山地蔵院と号し、真言宗智山派、本尊は地蔵菩薩。草創は永久元年(一一一三)、開山は空円(保安二年没)と伝えるが(風土記稿)、詳細は不明。長く宝登山神社の別当寺を勤めており、当寺に関係する史料約二〇〇点は現在、宝登山神社で管理している。これらの史料によれば、慶安三年(一六五〇)から承応三年(一六五四)にかけて当寺日応が中院流心南院方・意教流願行方・中性院流の印信をそれぞれ覚運・宥清から受けており、当時真言法流の祖は日応であったことがわかる。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]川上村 灰福

阿武川の上流灰福はいふくにある曹洞宗寺院。太平山と号し、本尊は毘沙門天

大正八年(一九一九)一二月、明治初期に福寿ふくじゆ院と合併した生福しようふく寺の毘沙門堂に、福島県耶麻やま上之宮かみのみや村にあった廃寺玉泉寺の寺号を移し、再興された寺院である。

毘沙門堂は、享徳元年(一四五二)筑前の大平寺八世海翁摸林が開創した曹洞宗の生福寺の抱え堂で、聖徳太子作と伝える毘沙門天を本尊とする。毘沙門天について「往昔洪水之節尊像三嶋漂着、三嶋之漁人取上ゲ崇敬仕候処、彼地殊之外鳴動ス、里人驚候内本所可帰との托宣有り、夫より只今之所送来候」(注進案)との伝承があり、寛文一一年(一六七一)三月に毘沙門堂が再建されている(同書)

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]津川町津川

新善光しんぜんこう寺の西に位置し、当寺の西には密蔵みつぞう院・正法しようぼう寺が並ぶ。真言宗豊山派宝珠山と号し、本尊は不動明王。開基の年代は不詳だが、「津川旧記」によれば、貞治二年(一三六三)西にし村境の旧津川から移転、天明六年(一七八六)六月に焼失したが翌月から再建立を進める。享保一三年(一七二八)密蔵院との間に寺領をめぐって争いが起こり、検地のうえいったんは収拾したが、寛保元年(一七四一)再び両者から訴えがあり、のち和解(津川旧記)

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]安曇川町田中

比良山系の北端にあたる阿弥陀あみだ山の南麓やや高台に位置する。遍照山と号し、天台真盛宗。本尊阿弥陀如来。高島たかしま郡巡礼三十三所観音霊場の第五番札所。寺伝では天平年間(七二九―七四九)行基によって開かれたという。享禄年間(一五二八―三二)火災によりほとんど灰燼に帰した。天文二年(一五三三)田中たなか城主田中下野守理春が西教さいきよう(現滋賀県大津市)真盛の門弟真叡とともに再興したとされる。その後の寺歴を語る資料は不詳だが、優れた石造品が数多く残る。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]小谷村大字中土 中谷東

曹洞宗宝降山ほうこうざん玉泉寺と称し、本尊延命地蔵菩薩半跏像を安置する。

寺伝によれば、文明年間(一四六九―八七)の開創という伝承と、天文年間(一五三二―五五)平倉ひらくら城城主飯森盛春の開基という伝承とがある。

玉泉寺
ぎよくせんじ

[現在地名]小国町玉川

玉川たまがわ集落の西南にある。巌松山と号し、曹洞宗。本尊は聖観音。寺伝によれば天正二年(一五七四)の創建で開基は三須佐左衛門の先祖三須石見、開山は米沢禅透ぜんとう院七世是訓という。本尊は一木造の坐像で、底部に嘉吉三年(一四四三)の墨書銘をもつが、開創以前に製作された同像が当寺に伝来した経緯は不詳。

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国指定史跡ガイド 「玉泉寺」の解説

ぎょくせんじ【玉泉寺】


静岡県下田市柿崎にある寺院。日本で最初にアメリカ総領事館が置かれた寺として幕末維新史に名を留め、初代総領事タウンゼント・ハリスが過ごした曹洞宗の寺。1854年(嘉永7)3月に日米和親条約の締結によって下田が開港されると、玉泉寺はアメリカ人の休息所、埋葬所に指定された。そして1856年(安政3)にアメリカ総領事のハリスが下田に上陸すると、1859年(安政6)まで領事館とした。1848年(嘉永1)に建てられた本堂は、間口7間、奥行き6間の寄せ棟造りで、内部はハリスの居室や次の間、通訳のヒュースケンの居室や事務室になっており、当時の規模をよく伝える幕末外交史上重要な建物であることから、1951年(昭和26)に国の史跡に指定された。併設のハリス記念館では、総領事のハリスの愛用の品々や書簡などの関連資料をはじめ、吉田松陰の遺品や日本最古の銀板写真なども収蔵展示されている。伊豆急行線伊豆急下田駅から南伊豆東海バス「柿崎神社前」下車、徒歩約2分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉泉寺」の意味・わかりやすい解説

玉泉寺
ぎょくせんじ

静岡県下田市柿崎(かきさき)にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は瑞龍山(ずいりゅうざん)。1582年(天正10)一嶺俊栄(いちれいしゅんえい)の開山。江戸末期、幕府がペリーと結んだ日米和親条約に基づき、1856年(安政3)7月にアメリカ総領事ハリスが下田に着任するや玉泉寺に領事館が置かれ、59年5月江戸麻布(あざぶ)の善福寺に移るまで、通訳ヒュースケンが居住したことで知られる。寺内には当時の記録や遺品のほか、境内にアメリカ人やロシア人の墓、ヒュースケンに仕えたお福の墓、屠牛木供養(くよう)塔などがある。

[大鹿実秋]


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デジタル大辞泉プラス 「玉泉寺」の解説

玉泉寺

静岡県下田市にある寺院。曹洞宗。もとは真言宗の草庵。天正年間(1573~1592)に俊栄が改宗して開山。1856年、米国総領事ハリスが日本初の領事館を開設した地として知られ、国の史跡に指定されている。

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事典・日本の観光資源 「玉泉寺」の解説

玉泉寺

(滋賀県高島市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の玉泉寺の言及

【下田[市]】より

…水産業は沿岸・沖合漁業でサバなどの水揚げが多く,農業はミカン,花卉などが中心である。《延喜式》の名神大社伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)(白浜)神社,下田条約締結の舞台となった了仙寺(史),長楽寺,アメリカ総領事館が置かれた玉泉寺(史),唐人お吉の墓がある宝福寺など史跡が多い。【塩川 亮】
[歴史]
 江戸~大坂間の海上交通の要地として発展した。…

※「玉泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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