生態心理学(読み)せいたいしんりがく(英語表記)ecological psychology

最新 心理学事典 「生態心理学」の解説

せいたいしんりがく
生態心理学
ecological psychology

20世紀のアメリカで,バーカーBarker,R.とギブソンGibson,J.J.によって2種の生態心理学が創始された。バーカーは社会的行動を,ギブソンは知覚と行為を問題にした。以下ではギブソンの生態心理学を概説する。

【生態心理学の背景】 19世紀の心理物理学psychophysicsは,古典的な物理学と生理学をモデルとして,入力を感覚器官への刺激に限定した。しかし要素的な入力からは,恒常的で世界の全体についての経験である知覚は説明できない。したがって,刺激を解釈したり加工する種々の機構(たとえば無意識的推論)を必要とした。知覚を帰納的推論に依存する説明は,知覚が本性として不確実であることを認めることになる。ギブソンの生態心理学は,この伝統的枠組みに固有な困難の克服をめざす試みである。

 ギブソンはプリンストン大学時代に,当時の心理学改革の二つの動向から影響を受けた。一つは,ゲシュタルト心理学である。レビンLewin,K.の場field,生活空間life space,誘発性valenceなどの概念,コフカKoffka,K.の行動から独立して存在する地理的環境と,動物の行動を媒介する行動的環境の二分法,ハイダーHeider,F.の事物thingと媒質mediumの存在論的な区分,ハイダーによって初めて提唱され,のちにブルンスウィックBrunswik,E.の確率論的機能主義に生態学的妥当性ecological validityのアイデアをもたらした「遠刺激distal stimulus」と「近刺激proximal stimulus」の区別などがそれである。もう一つの動向は新実在論new realismである。新実在論は,知覚が知覚者の内的過程であることを否定し,相互に独立して存在する知覚者と対象の直接的関係が認識を生み出すとし,知覚をもたらす行動を特定的反応specific responseとよんだ。新実在論者のホルトHolt,E.B.は行動主義が個体の受容する近刺激に説明の根拠を求めていることを批判し,行動は遠位にある対象に関連しており,対象を特定する認識は(近)刺激の後退the recession of stimulusによって成立するとした。この主張は,「感覚刺激は知覚に無関係である」というギブソンの後期の主張に引き継がれた。

【生態心理学の枠組み】 環境:ギブソンは,環境は動物を取り囲んでいることにその本質があるとし,環境という用語には動物が含意されているとする。環境は三つに区分される。第1が媒質mediumで,水と空気である。媒質の物質構成はきわめて等質であり境界がない。媒質は水生・陸生動物の呼吸と,移動を可能にしている。またその等質性は光が一様に伝達し,波動・振動が伝わり,気化した微小化学物質が拡散することを可能にしている。その結果,媒質の各所には,他にはない光,振動,化学的拡散の複合状態が生じ,動物は移動によってローカルな事象に接近して,その詳細を探索することも,それを避けて離れることもできる。すなわち媒質には周辺の環境の事実を特定する情報があり,媒質中のすべての場所は動物に固有な観察点を提供している。

 第2は物質substanceである。物質とは,固さをもつ地面,岩,石,樹木,他の動物,種々の大きさの遊離物である。物質の組成は不均質性であり,媒質とは際立つ性質をもつ。物質は,衝撃,温度変化,時間経過でその形態を変化させる。

 第3は媒質と物質の間にある表面surfaceである。そこには物質の性質を露出する大小の配置layoutがある。小規模な配置をとくに肌理textureとよぶ。植物の葉や木肌や動物の皮膚などは肌理である。動物は表面の配置から環境の性質を知る。配置間には明瞭な区切れ目はなく,大きな配置は小さな配置を埋め込んでいる。配置間のこのような関係をギブソンは入れ子nestingとよぶ。表面には種々の時間規模の変形が並行して生じている。ギブソンはそれを「持続と変化が同時に存在する」と表わした。

 環境の事象は,それ自体が動物の活動に関与する意味である。ギブソンはこの環境の事実を英語の動詞affordから造語してアフォーダンスaffordanceと名づけた。

 情報:周囲の事象は情報によって特定される。情報の源となる事象が燃焼や気化の場合,媒質中の化学的放散が情報となる(生態化学)。事象が固体の衝突の場合は,媒質を伝わる振動が情報となる。事象から同心球状に拡散する波面wave frontに両耳を定位することで事象の方向を,波面の時間的構成である波列wave trainによって事象の意味を知る(生態音響学)。動物が環境に身体の一部で直接接触し,それによって生ずる力学的変形を情報とする場合をギブソンはダイナミック・タッチ(力動的触)とよんだ。物の回転運動への抵抗値(慣性テンソル)が情報となる(生態接触学)。

 ギブソンが生涯取り組んだのは,視覚情報となる光の理論,生態光学ecological opticsである。光源からの放射光の情報は分光器のような特殊な装置なしには知ることができない。放射光を刺激として視覚を説明しようとする伝統的視覚論には困難がある。媒質中の塵や表面の肌理で放射光は散乱する。散乱は多重の反射あるいは残響を引き起こし,「照明」状態が生ずる。照明された環境では媒質中の全箇所を,全方向からの光線が交差し取り囲むことになる。この光の事実をギブソンは包囲光ambient lightと名づけた。包囲光は周囲の表面の配置を投影するユニークな構造(包囲光配列ambient light array)をもつ。包囲光配列の立体角の集合には,方向の違いに応じて光の強度差がある。

 包囲光配列中を観察者が移動すると配列を構成する光の肌理全体が流動する。観察者が配置に向かって接近,後退すると,肌理は拡大あるいは縮小する。つまり包囲光配列のマクロな変化は観察者自身の運動を特定する。周囲の表面の大小の配置にある境界は,包囲光配列中の縁で生ずる光の流動の非連続性で示される。このようにして包囲光は観察者の自己運動と周囲の表面の配置の不変な性質の両方を特定している。物体の運動は,パースペクティブ変形や非パースペクティブ変形を生じさせる。たとえば正三角形や正方形の物体が回転すると,120°(正三角形)あるいは90°(正方形)の回転で,形が回転前と重なる。変形下の幾何的同一性を数学では「対称symmetry」というが,それは情報となる。ギブソンは変換(操作や移動)を加えても保存されるこの種の性質を「不変項」とよび,それを恒常的知覚の根拠とした。

 視覚情報としての包囲光とその構造の存在は,環境に物質表面の配置があり,透明で均質な媒質があり,そこを散乱光が満たしているという,地球環境に長く持続しかつ普遍な事実に由来している。地球に備わる事物の状態と光が,そのまま周囲の環境を特定するspecify情報を埋め込んでいる。この自然の事実が,ギブソンの視覚論を基礎づけている。彼は自身の知覚論を直接知覚論direct perception,生態学的実在論realism perceptionとよんだ。通常の知覚論は意味の根拠を(網膜)像や推論機構など環境と動物行為以外の第3の項にゆだねており,これは媒介項を必要とする間接知覚論indirect perceptionである。一方,ギブソンの生態光学は環境と動物の二項だけから成立している。この二項関係を特定性specificityとよび,特定性には,包囲光による表面の配置の特定と,動物の知覚的探索による情報の特定の2種がある。

 知覚システム(身体):包囲光に環境の性質を探る活動を視覚システムvisual systemとよぶ。視覚は,両眼の動き,それを埋め込む頭部の動き,頭部につながる頸の動き,胴体の動き,そして上体を移動させている両脚の動きなどの身体運動の入れ子を基礎にしている。情報を獲得するこの全身に及ぶ動きの組織が知覚システムperceptual systemである。

 知覚システムはヒトの身体に特徴的な構造に基礎をおいている。ヒトの身体の中心には25個の骨からなる脊柱があり,それに乗る頭部はつねに動揺している。他の身体部分もこの軸に関節で接続する柔構造である。骨に張りつく筋繊維は髪のように細く,互いに絡み合わず,骨を押すことはない。このような骨群の引っ張り力と筋で身体運動を制御することはきわめて困難である(ベルンシュタイン問題)。この,本来不安定なヒトの動きを制御するのが情報である。たとえば立位姿勢は持続する動揺であるが,揺れは,周囲の表面の肌理を投影した包囲光の流動の拡大や縮小に同調し,制御されている。接近してくる表面(ボールや自動車など)との「接触までの残り時間」も,肌理の流動の拡大率によって知覚されている。眼を中心とする全身の視覚システムの動きと,それが抽出する光学的情報はこのように循環している。

 ギブソンは周囲への注意のモードとして,基礎定位(姿勢),視覚,聴覚,触覚・身体覚,味覚・嗅覚の5種の知覚システムを仮定した。物質に接触してその性質を探る活動は触覚システムhaptic systemである。手で物の表面をなでる場合もあるが,触覚の大部分は物の一部を持って振るダイナミック・タッチdynamic touchである。それは「物の質量は,投げ上げ,受け取り,左右への揺り動かしなどのさまざまなやり方で,物を振ること」であり,「振ることには,変化から永続的な成分を分離する働きがある。(振る者の)自己を特定する情報をあたかも濾過するかのようにして,物の純粋な情報を残せるのである。この過程には時間がかかる。それは,不変項は時間をかけて起こる一連の変形で作られるからである」と述べた。ダイナミック・タッチによって,物の長さ,形などを知ることができる。その情報は力学の「慣性テンソル」に近似している。物を振ると,運動やトルク(回転力)は変化するが,軸の周り回転の抵抗値である慣性テンソルは不変である。慣性テンソルは,物が回転するときに生ずる回転軸固有ベクトル)周りの3方向にできる抵抗の分布であり,物の形に依存して異なる。つまりヒトは物を振ることで生ずる抵抗力の空間分布を情報として物の性質を知覚する。ダイナミック・タッチにより自己身体も知覚される。全身の動きは慣性情報を生じさせる。光,振動,力学など多種の情報を探り,環境の多層な意味に到達するためには長い各知覚システムの学習と知覚システム間の情報を複合する経験が必要である。

 ギブソンの生態心理学の構想は,科学的枠組みに厳格に従うが,伝統的心理学とはまったく異なる方向をめざしている。その影響は心理学にとどまらず,認知言語学,ロボット工学,建築学,プロダクトデザイン,理学療法,作業療法などの領域に及んでいる。 →生態学的制約
〔佐々木 正人〕

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