生白堂行風(読み)せいはくどう・こうふう

朝日日本歴史人物事典 「生白堂行風」の解説

生白堂行風

生年生没年不詳
江戸時代の狂歌師没年は豊蔵坊信海が没した元禄1年(1688)以前。大坂高津の裕福な町人で,姓は朝倉氏,字は懐中。はじめ歌道を学び,明暦1(1655)年には,中院通村に称賛されたという。俳諧にも親しんだが本領狂歌にあり,寛文6(1666)年『古今夷曲集』全10巻を刊行した。この書は狂歌の書として初めて高位高官より庶民に至るまでの歌を集成したもので,作者は240人余,歌数は1050首を超えた大選集であり,書名は『古今和歌集』に拠っている。次いで『後撰夷曲集』全10巻(1672),『銀葉夷歌集』全10巻(1679)を刊行した。その歌風は,のちの江戸狂歌人からは平板凡庸と不評を買ったが,浪速狂歌壇の先駆的役割を担った人物である。

(園田豊)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生白堂行風」の意味・わかりやすい解説

生白堂行風
せいはくどうぎょうふう

江戸時代前期の狂歌作者。号,生白庵。字,懐忠。真宗僧侶とも医師ともいい,松江重頼に俳諧を学んだという。『古今夷曲集 (ここんいきょくしゅう) 』や『後撰夷曲集』 (1672) を編み,後者には狂歌論「夷歌式」をつける。両夷曲集の奥に「高津汚道子」と自署しているため,寛文 (61~73) 頃,大坂の高津に住み,俳諧,狂歌をたしなんだのであろうと推測される。初期狂歌史上重要な人物の一人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生白堂行風」の解説

生白堂行風 せいはくどう-こうふう

?-? 江戸時代前期の狂歌師。
大坂高津の町人。和歌,俳諧(はいかい)をとおして公家(くげ)や俳人交流。狂歌を本領とし,寛文5年(1665)の「古今夷曲(いきょく)集」10巻をはじめ「後撰夷曲集」「銀葉夷歌集」などを編集,刊行した。姓は朝倉。字(あざな)は懐中。

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