新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田中 絹代」の解説
田中 絹代
タナカ キヌヨ
- 職業
- 女優 映画監督
- 生年月日
- 明治42年 11月29日
- 出生地
- 山口県 下関市
- 経歴
- 呉服屋を営む家に、8人兄姉(4男4女)の末娘として生まれるが、2歳の時に父を失う。幼い頃から筑前琵琶の手ほどきを受け、13歳で大阪に出て少女琵琶歌劇団の女優となる。やがて映画女優を目指すようになり、大正13年松竹大阪支店長・井上重正に招かれて、松竹下加茂撮影所に入所、野村芳亭監督「元禄女」で映画デビューを果たした。続いて同年の清水宏監督「村の牧場」で早くも主演に抜擢。14年同社蒲田撮影所に移ってからは島津保次郎監督「勇敢なる恋」を皮切りに五所平之助監督「恥しい夢」「絹代物語」「銀座の柳」「伊豆の踊子」「人生のお荷物」、小津安二郎監督「大学は出たけれど」「東京の女」「非常線の恋」、野村監督「婦系図」、島津監督「お琴と佐助」など数多くの作品に出演し、純情可憐な娘を好演して同社の看板スターとしての地位を確立した。この間、昭和6年には我が国初のトーキー映画となる五所監督「マダムと女房」で主演を務め、甘ったるいような声で全国の映画ファンを魅了。さらに13年上原謙と共演した野村浩将監督による恋愛メロドラマ「愛染かつら」は戦前の日本映画最大のヒットとなり、その後4本の続編が製作された。戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し、木下恵介監督「四谷怪談」「楢山節考」、小津監督「風の中の牝鶏」「宗方姉妹」、成瀬巳喜男監督「おかあさん」「放浪記」、小林正樹監督「まごころ」、五所監督「煙突の見える場所」、家城巳代治監督「異母兄弟」、市川崑監督「おとうと」「太平洋ひとりぼっち」などで名演技を見せた。特に溝口健二監督と組んだ「女優須磨子の恋」「わが恋は燃えぬ」「お遊さま」「武蔵野夫人」「雨月物語」「山椒太夫」といった作品にすぐれたものが多く、同監督が彼女のために温めてきた企画であった27年の「西鶴一代女」はベネチア国際映画祭国際賞に輝いた。28年新東宝製作の「恋文」で監督に挑戦して日本における本格的な劇映画の女流監督第一号となり、以後、小津安二郎の脚本を得た29年の「月は上りぬ」や、癌に冒された女性歌人を描いた30年の「乳房よ永遠なれ」をはじめとして「流転の王妃」「お吟さま」などを監督。女優業としても、老年に至ってますます円熟味を加え、49年の熊井啓監督「サンダカン八番娼館・望郷」では元からゆきさんの老婆を慈味豊かに演じて、50年ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した。テレビの主な出演作に、「樅の木は残った」「前略おふくろ様」、「雲のじゅうたん」(ナレーション)など。我が国の映画史上最大の女優といわれ、没後、従弟の小林正樹監督の尽力で田中絹代賞が設立された。昭和初年、映画監督の清水宏と結婚したが間もなく離婚した。蒲田から大船に撮影所が移転すると鎌倉に家を構え“絹代御殿”と呼ばれた。平成22年出身地の下関市に、旧逓信省下関電信局庁舎をリニューアルして田中絹代ぶんか館がオープンした。
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞〔昭和49年〕 紫綬褒章〔昭和45年〕,勲三等瑞宝章〔昭和52年〕 キネマ旬報賞主演女優賞(昭和33年度・49年度),ベルリン国際映画祭最優秀女優賞〔昭和50年〕「サンダカン八番娼館・望郷」 毎日映画コンクール主演女優賞(昭和22年度・23年度・49年度),毎日映画コンクール助演女優賞(昭和32年度・35年度)
- 没年月日
- 昭和52年 3月21日 (1977年)
- 親族
- 従弟=小林 正樹(映画監督)
- 伝記
- 田中絹代今ひとたびの戦後日本映画花も嵐も―女優・田中絹代の生涯人物・松竹映画史―蒲田の時代小説 田中絹代 石割 平 編・著,円尾 敏郎 編川本 三郎 著古川 薫 著升本 喜年 著新藤 兼人 著(発行元 ワイズ出版岩波書店文芸春秋平凡社文芸春秋 ’08’07’04’87’86発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報