田中二郎(読み)たなか じろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中二郎」の解説

田中二郎 たなか-じろう

1906-1982 昭和時代の行政法学者,裁判官
明治39年7月14日生まれ。美濃部(みのべ)達吉のもとで母校東京帝大の助教授をつとめ,昭和16年教授。戦後は各種の政府審議会で答申案をまとめ,行政の民主化などを推進した。39年最高裁判事となり,「ハト派」裁判官といわれたが,48年任期をのこして辞任。55年文化功労者。昭和57年1月16日死去。75歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田中二郎の言及

【教育基本法】より

… 本法を発意し推進したのは,1946年5月に文部大臣に就任した田中耕太郎である。同年6月,田中文相が憲法改正議会において教育根本法の構想を明らかにしたのち,文相の意を受け,田中二郎参事が文部省のスタッフを指導して立案に当たった。同年8月設置された教育刷新委員会も,第1特別委員会を中心に審議し,11月第1回建議〈教育の理念及び教育基本法に関すること〉にみられるように,制定の基本方針を樹立した。…

※「田中二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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