田中啓爾(読み)たなかけいじ

改訂新版 世界大百科事典 「田中啓爾」の意味・わかりやすい解説

田中啓爾 (たなかけいじ)
生没年:1885-1975(明治18-昭和50)

地理学者。東京に生まれ,福岡県で育つ。福岡師範学校を経て,1912年東京高等師範学校地歴科,16年同研究科を卒業。20年アメリカ,イギリス,フランスに留学。帰国後,東京高等師範学校(のち東京文理科大学)の教授となった。47年東京文理科大学を定年退官後は,立正大学の地理学教室を主宰,52-54年,日本地理学会会長を務めた。地理学ならびに地理教育の推進をはかり,日本地理学界に大きな貢献をした。地理学のうち,とくに地誌学に重点を置き,みずから監修執筆(一部)して学術的な日本都道府県別地誌の刊行を企画した(未完)。著書に《地理学の本質原理》(1949),《塩および魚の移入路--鉄道開通前の内陸交通》(1957)などがある。公にした170余の地理学論文は《地理学論文集》4巻(1933-80)に収録されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中啓爾」の意味・わかりやすい解説

田中啓爾
たなかけいじ

[生]1885.12.8. 福岡
[没]1975.1.5. 東京
人文地理学者,理学博士。東京高等師範学校研究科卒業。東京高等師範学校,東京文理科大学,立正大学教授。ヨーロッパ,アメリカの近代地理学を導入し,日本の現代の地理教育の指導者として活躍。日本地理学会の会長をつとめた。主著に『地理学論文集』 (1923) ,『我等国土』 (29) ,『地理教育に関する論文集』 (29) ,『続地理学論文集』 (50) ,『第三地理学論文集』 (65) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中啓爾」の解説

田中啓爾 たなか-けいじ

1885-1975 大正-昭和時代の地理学者。
明治18年12月8日生まれ。欧米留学後,母校の東京高師,東京文理大,立正大の教授を歴任。昭和27年日本地理学会会長。地誌学的研究を重視し,地理学の研究教育体制の確立につくした。昭和50年1月5日死去。89歳。東京出身。著作に「地理学の本質と原理」「東京都新誌」など。

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