朝日日本歴史人物事典 「田中長嶺」の解説
田中長嶺
生年:嘉永2(1849)
明治大正時代の椎茸栽培,製炭事業の指導者。越後国三島郡才津村(長岡市)生まれ。幼名重次郎。絵画を学ぶべく江戸に出たが途中で帰農。農業のかたわら植物採集,写生,菌学を研究し,明治23(1890)年,わが国初の菌類学書『日本菌類図説』(共著)を,その後さらに人工接種による椎茸栽培法について研究,『香蕈培養図説』(1892)などを著した。また製炭法の改善を考究し,25年『十余三産業絵詞』を著した。28年には愛知県八名郡にて田中式改良窯を考案,これをもとに『炭焼手引草』(1898)を公刊,わが国製炭の技術的基礎の確立に貢献した。椎茸栽培および製炭技術改善のため全国各地を行脚,名古屋市東田で客死。<参考文献>中村克哉他『明治殖産業の民間先駆者田中長嶺の研究』,赤羽武他「『炭焼手引草』解題」(『明治農書全集』13巻)
(赤羽武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報