田村神社(読み)たむらじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「田村神社」の意味・読み・例文・類語

たむら‐じんじゃ【田村神社】

香川県高松市一宮町にある神社。旧国幣中社。祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)ほか四柱(田村大神五柱)。和銅二年(七〇九)の創祀と伝える。讚岐国一の宮。

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デジタル大辞泉 「田村神社」の意味・読み・例文・類語

たむら‐じんじゃ【田村神社】

香川県高松市にある神社。祭神は田村大神で、猿田彦命さるたひこのみことなど五神のことという。讃岐さぬき一の宮定水さだみず明神。

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日本歴史地名大系 「田村神社」の解説

田村神社
たむらじんじや

[現在地名]高松市一宮町

御坊ごぼう川東岸に鎮座。一宮さんと通称され、祭神は倭迹迹日百襲姫命・五十狭芹彦命・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命の田村大神五柱。旧国幣中社。古くは田村大明神定水じようすい大明神と称され、讃岐一宮であった。「延喜式」神名帳に載る香川郡田村神社(名神大社)に比定される。祭神については「大日本国一宮記」に猿田彦大神、「北条記」に備中吉備津きびつ(現岡山市)の神の子(五十狭芹彦命)とみえ、水佐佐良比古命の兄弟田村命とする説(神祇志料)もある。当地一帯は香東こうとう川の伏流水が豊富な地域で、出水が多く存在する。当社の神座のある奥殿床下には深淵(定水)があり、だれ一人内部をみることは許されないという(「全讃史」「讃岐国大日記」など)。また地誌類に、「社辺黒色蛇多、(中略)俗謂神竜矣」(讃岐国大日記)、「此地往古川淵也、水神在テ邑里不浄咎其祟在事酷シ故ニ其淵ヲ清浄ニシテ水中ニ筏ヲ浮ヘ、其浮橋ニ社ヲ造供物ヲ饌テ祭祀ヲ拝奠ス」(南海通記)などと記され、水神信仰を基盤として成立したと考えられる。

社伝によると和銅二年(七〇九)の創建。「続日本後紀」嘉祥二年(八四九)二月二八日条の従五位下の神階奉授記事に田村神とみえるのが早く、「三代実録」貞観三年(八六一)二月一三日条では従五位上で、官社に列せられている。

田村神社
たむらじんじや

[現在地名]郡山市田村町山中

山中さんちゆう集落の南に突出した孤丘上、字本郷ほんごうに鎮座。旧郷社。祭神大御中主神・坂上田村麻呂。古くは守山もりやま社ともよばれ、また両部神道で、大元帥明王を祀る泰平たいへい寺が管掌していたため、大元明王だいげんみようおう(大元帥明王)とも称した。大同年中(八〇六―八一〇)坂上田村麻呂が奉斎したとの伝承があるが、鎌倉時代守山城に拠っていた田村庄司氏が鎮守として奉祀したと考えられる。観応三年(一三五二)七月五日の吉良貞家禁制(富塚文書)に「田村庄守山社」とみえ、奥州管領吉良貞家が守山社への濫妨狼藉を禁じている。応永一三年(一四〇六)六月二五日の年紀をもつ泰平寺鐘銘(日本古鐘銘集成)に「田村庄守山鎮守山泰平寺」とみえ、別当寺は泰平寺であった。

田村神社
たむらじんじや

[現在地名]土山町北土山

北土山きたつちやまの東方、田村野たむらのに鎮座する。旧県社。祭神は坂上田村麻呂・嵯峨天皇倭姫やまとひめ命。社伝によれば、弘仁一三年(八二二)社殿創立といい、高座田村大明神と称したとする。のち兵火にあったが、江戸時代に復興され、寛永一五年(一六三八)後水尾上皇より正一位田村大明神の額を下賜されたという。延宝七年(一六七九)の北土山村検地帳(土山町有文書)に田村大明神とみえ、屋敷林とも八町九反余が除地となっている。坂上田村麻呂を祭神とするため武家の崇敬を集め、とくにその末裔を称した奥州一関藩主田村氏は度々家臣に代参させ、毎年現米一〇石を寄進した。

田村神社
たむらじんじや

[現在地名]白石市斎川

斎川さいかわ宿の南端坊之入ぼうのいりにあり奥州街道に沿う。この地域を通る奥州街道は近代以前は狭隘で急峻な坂道であった。通称あぶみこわしまたは鐙摺りとよばれている。ここを馬で通る際狭い両側の岩石で馬足や鐙を傷めることが多かったためこの名があるという(観蹟聞老志)。元禄二年(一六八九)井原西鶴は「一目玉鉾」に「佐伊川 鞍割坂といふ有是は錦戸合戦の時此岩谷にて人馬をそこなひしよりかくは名付し」と記す。同年、芭蕉も「おくのほそ道」で「鐙摺・白石の城を過」と記し、同行の曾良は「アブミコブシと云岩有」と記す(旅日記)

田村神社
たむらじんじや

[現在地名]滝沢村篠木 上篠木

参郷さんごうノ森の北、篠木坂しのぎさか峠の南東に位置し、祭神坂上田村麻呂、旧村社。田村麻呂が蝦夷討伐の際、岩鷲がんじゆ(岩手山)の神霊に祈念し、従臣を別当として厚く奉祀せしめたことに由来するという。「御領分社堂」に「篠木村之宮、新山権現社」とある。盛岡藩主南部氏の崇敬が厚く、「雑書」承応二年(一六五三)四月八日条によれば、藩主重直の病気平癒のため領内三九社に願がかけられ、その筆頭に「篠木権現」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「田村神社」の意味・わかりやすい解説

田村神社 (たむらじんじゃ)

香川県高松市一宮町に鎮座。祭神は倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)命,五十狭芹彦(いさせりひこ)命,猿田彦大神,天隠山(あめのかぐやま)命,天五田根(あめのいたね)命。この5神を総称して田村大神というが,中世以来定水(さだみず)大明神とも唱えられ,現在も奥殿床下に定水と称する深秘の井のあることから,讃岐平野の井水に対する崇拝より発する神社とみられる。861年(貞観3)官社に列せられ,865年正五位下,877年(元慶1)正四位上に叙せられ,延喜の制で名神大社,のち讃岐国一宮。中世以降武将の崇敬をうけ,またその祭祀は別当寺大宝院がつかさどった。江戸時代は高松藩主松平氏の祈願所とされ,1679年(延宝7)には神仏習合を廃された。旧国幣中社。10月8日の例祭当日の獅子舞のほか,4月15日の市立(いちたて)祭,5月8日の初夏祭と御蚊帳垂(おかちようたれ)神事,10月8日の御蚊帳撤(あげ)神事など特殊神事がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田村神社」の意味・わかりやすい解説

田村神社
たむらじんじゃ

香川県高松市一宮(いちのみや)町に鎮座。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)、天五田根命(あめのいたねのみこと)(以上五神を田村大神という)を祀(まつ)る。創建年代不詳、社伝で709年(和銅2)社殿を創建という。祭神について種々伝承されるが、定水(さだみず)大明神と古くより称され、本社奥殿床下に定水といわれる井戸のあることより、古来本社周辺の水田を潤す井戸に対する信仰に発する社(やしろ)とみられる。849年(嘉祥2)従(じゅ)五位下、延喜(えんぎ)の制で名神(みょうじん)大社、のち讃岐(さぬき)国一宮、明治の制で国幣中社。

 例祭10月8日、ほかに5月8日の初夏祭、御蚊帳垂神事(おかちょうたれのしんじ)、10月8日例祭後の御蚊帳撤(あけ)神事など特殊神事が多い。

[鎌田純一]

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デジタル大辞泉プラス 「田村神社」の解説

田村神社

香川県高松市にある神社。延喜式内社。祭神は田村大神(倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)、天五田根命(あめのいたねのみこと)の5神)。讃岐国一之宮。「定水(さだみず)大明神」「一宮大明神」とも呼ばれる。

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百科事典マイペディア 「田村神社」の意味・わかりやすい解説

田村神社【たむらじんじゃ】

香川県高松市一宮町に鎮座。旧国幣中社。祭神は倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)命・五十狭芹彦(いさせりひこ)命・【さる】田彦大神・天隠山命・天五田根命の五柱。延喜式内の名神大社とされ,讃岐(さぬき)国の一宮。例祭は5月8日と10月8日。

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事典・日本の観光資源 「田村神社」の解説

田村神社

(滋賀県甲賀市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

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