由比光衛(読み)ゆひ・みつえ

朝日日本歴史人物事典 「由比光衛」の解説

由比光衛

没年:大正14.9.18(1925)
生年:万延1.10.15(1860.11.27)
明治大正期の陸軍軍人土佐(高知)藩士由比光索の長男。明治15(1882)年陸軍士官学校卒。24年陸軍大学校を優等で卒業。日清戦争(1894~95)には大本営参謀,次いで第2軍参謀,北清事変(1900)には臨時清国派遣隊参謀,日露戦争(1904~05)には第2軍参謀副長,次いで第8師団参謀長として出征した。44年には,日露戦争時の第2軍司令官奥保鞏参謀総長の下で参謀本部第1部長に任じられる。大正3(1914)年陸軍大学校長,翌年第15師団長。6年近衛師団長となり,翌年浦塩派遣軍参謀長としてシベリア出兵。8年青島守備隊司令官を務め,大将に進む。12年軍事参議官,翌年予備役。4回の海外出兵では全て主要方面の参謀。

(鈴木淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「由比光衛」の解説

由比光衛 ゆひ-みつえ

1860-1925 明治-大正時代の軍人。
万延元年10月15日生まれ。日清(にっしん)・日露戦争に従軍。大正3年陸軍大学校長。のち近衛(このえ)師団長,浦塩(ウラジオ)派遣軍参謀長,青島(チンタオ)守備軍司令官などをつとめ,8年陸軍大将。大正14年9月18日死去。66歳。土佐(高知県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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