甲賀郡中惣(読み)こうがぐんちゅうそう

改訂新版 世界大百科事典 「甲賀郡中惣」の意味・わかりやすい解説

甲賀郡中惣 (こうがぐんちゅうそう)

近江国甲賀郡の国人土豪による一郡規模の一揆。成立時期は不明だが,最盛期は戦国時代後半。郡内には甲賀53家と総称される地侍土豪が群居した。彼らは同名惣と称する同姓集団を基礎に団結していたが,それが小地域的に連合して伴,山中,美濃部3氏による柏木三方惣のような小地域連合をもち,さらにそれを1郡規模に拡大したのが甲賀郡中惣である。その存在が史料的に確認できるのは山中文書の1571年(元亀2)の〈郡中惣意見条々案〉をさかのぼらないが,隣接する伊賀惣国一揆と密接に連携していたことから類推すれば,1562年(永禄5)以前にすでに確立していたと考えねばならない。郡中惣は各同名惣から選出された10人の奉行によって運営されており,伊賀惣国一揆と連携して,外敵侵入を防ぎ自立を確保しようとしたが,織田信長軍の進出に対抗できずに崩壊した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の甲賀郡中惣の言及

【伊賀惣国一揆】より

…その掟書は11ヵ条で,他国勢の侵入には惣国一味同心して防戦すべきこと,侵入の注進があれば里々の鐘を鳴らし直ちに出陣すること,50~17歳のものは出陣義務があり,長期にわたるときは番編成にして交代し,在々所々で武者大将を指定し惣はその下知に従うこと,惣国諸寺の老僧は国豊饒の祈禱をし若い僧は出陣すること,諸侍の被官たちに里々で起請文を書かせ服従を誓わせること,忠節の百姓は侍にとりたてること,他国勢を引き入れたり内通したりするものは討伐しその所領を没収すること等々が定められている。隣接する甲賀郡中惣と連携し,合同会議を国境において野寄合の形で開くことも掟の最後の個条にある。執行部として10人の奉行を選出するなど,甲賀郡中惣と類似するので,その構造もほぼ同様であったと考えられる。…

【同名惣】より

…同族以外に被官(ひかん)で主家から姓を許されたものを含み,ときには姻戚らしい異姓者をも含むこともある。典型的なものは近江国甲賀郡の甲賀郡中惣を構成していた武士団で,対外的には同名惣を代表し,対内的には庶務を執行する奉行・年行事を互選によって選出した。また規約を定めてその団結強化と統制をはかり,戦時には一致した行動をとり,平時には農民支配の貫徹を期した。…

【山中氏】より

…同名中は戦闘集団であり,奉行,年行事をもち,独自の掟を作り,百姓を若党に組織し,一定領域を支配した。山中と伴と美濃部の3同名中が連合して柏木三方を作り,さらに甲賀郡内の諸氏・同名中による甲賀郡中惣を形成した。同名中,三方,郡中惣は相互利害の調整や紛争の裁定を行い,甲賀郡を支配した。…

※「甲賀郡中惣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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