町名主(読み)マチナヌシ

デジタル大辞泉 「町名主」の意味・読み・例文・類語

まち‐なぬし【町名主】

江戸時代、町の支配に当たった町役人。地域により町年寄町代肝煎きもいりなどとも称した。江戸の場合、町年寄の下に、数町から十数町に一人の町名主が置かれていた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「町名主」の意味・読み・例文・類語

まち‐なぬし【町名主】

〘名〙 江戸時代の町役人一つ。町年寄の支配内のいくつかの町の長として、町年寄から指揮を受けて、その町内公務自治をつかさどった。世襲のものもあり、選挙で選ばれるものもある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「町名主」の意味・わかりやすい解説

町名主 (まちなぬし)

近世の城下町などで町を支配する役人。農村を支配する名主と区別して町名主と呼んだ。職名も都市により相違があり,大坂では町年寄,岡山では名主年寄,仙台では検断・肝煎(きもいり),若松では検断,名古屋・犬山・長岡では町代,姫路では年寄,金沢では肝入,岡崎・飯田では庄屋,駿府では丁頭など多様な名称が用いられている。

 1590年(天正18)徳川家康が江戸に入ったとき,町の支配役としては(1)入国以前から江戸にいた者から取り立てられた者がおり,さらに(2)家康入国後命ぜられた者,(3)江戸で町屋が建設されるさいに町役頭ないし名主と呼ばれた者がいた。これら3類型の系譜の者は後に草創(くさわけ)名主と呼ばれ,特別に由緒のある者とされた(《市中取締類集》)。ついで慶長~寛永期(1596-1644)に成立した町々にも名主役を務める者があったが,後に古町名主と呼ばれた。しかしこれらの名主が,当初から町支配を担当していたという確証はない。むしろ由緒のある者として名誉職的な存在であり,町支配は町の長老である年寄や家持町人が輪番で従事していたと思われる。たとえば1656年(明暦2)町々の欠落(かけおち)人を追及することを命じた町触で,名主のいない町は名主を見立て,望まない町は1年交替で町の年寄が名主役になるように命じてもいる。すなわち,江戸の町の発展のなかで生じた治安維持や,町内および各町の間の紛争調停役として,行政官としての名主の役割が明確にされるようになったのである。以後,1662年(寛文2)に300町,1713年(正徳3)に259町の町並地(まちなみち)の住民が町奉行支配に組み入れられ,江戸の町数は総計933町になったが,このとき新たに増加した名主は平(ひら)名主と呼ばれた。延享年間(1744-48)にも寺社門前町が組み入れられ総町数は1678町となったが,このとき命ぜられた名主は門前名主と呼ばれた。15年の調査で名主の総数は196人,22年(享保7)には268人となっている。この年,名主は17の番組に分けられた(うち新吉原名主4名は番外)。のち町々の増加とともに21番組まで増加している。

 名主の職務は,触の町への伝達,人別調査,訴訟の和解や上達および付添い,証文の確認などであり,他の職業を兼ねることは禁じられ,支配の町々のなかに家屋敷を所持することが原則であった。住居には玄関を所持し,調停などを行ったことから〈げんか〉と俗称された。給与は役料とよばれ,支配町々から納入された。ほかに紙代,使番銭,筆墨料を徴収したり,町礼と称し家屋敷売買のさいの臨時収入もあった。幕末期の役料は1人平均53.8両で,最高は212両余,最低は3両2朱である。90年(寛政2)には〈名主肝煎〉が命ぜられ,1831年(天保2)には世話役が命ぜられて,名主の相互監視が行われている。天保改革では町奉行のもとに,市中取締掛など多様な業務が分掌されている。名主制度は69年(明治2)に廃止された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「町名主」の意味・わかりやすい解説

町名主
まちなぬし

江戸の町々を支配した役人。町年寄(まちどしより)の下で、町触(まちぶれ)、人別改(にんべつあらため)、訴訟の和解などを行った。村方の名主(なぬし)・庄屋(しょうや)に相当する。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「町名主」の解説

町名主
ちょうのなぬし

町之名主とも。近世都市において個別町を支配する町役人の名称の一つ。惣町役人のもとで町政全般の業務に従事するほか,町の意思を上申する役割も担った。代表的なのは江戸前期の江戸の例であるが,ここでは18世紀以降,数町を兼任する支配名主にとってかわられる。他に川越・甲府・岡山などにもみられる。ほぼ同様の機能をもつ町役人に京都・大坂の町年寄,金沢の肝煎(きもいり),仙台の検断・肝煎,久保田(秋田藩)の町代などがあり,名称は地域により多様である。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「町名主」の解説

町名主
まちなぬし

江戸時代の町役人
正しくは名主。江戸の市政の中心。町年寄の下にあり,職務は法令の伝達,人別改,願書・訴状の奥書,治安の維持など町政全般に及んだ。世襲で他業を許されず,町から給料をうけた。二百数十名おり1人で数町を支配。大坂の町年寄に相当した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

百科事典マイペディア 「町名主」の意味・わかりやすい解説

町名主【まちなぬし】

町役人

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の町名主の言及

【町役人】より

…大坂の総年寄は合議制であった。こうした総町支配の町役人のもとで,個別の町の支配を担当したのが,江戸の町名主,大坂の町年寄などの町役人である。それぞれの都市によって名称はさまざまであるが,町行政の自治的運営の中心として活躍した町役人である。…

※「町名主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android