畑黄山(読み)はた・こうざん

朝日日本歴史人物事典 「畑黄山」の解説

畑黄山

没年:文化1.5.26(1804.7.3)
生年享保6.2(1721)
江戸中期の医者。名は惟和,字は厚生,柳安。安藤碩翁の子。京都生まれ。医官の畑柳景の養嗣子となり,畑姓を名乗る。古医方を唱え,『傷寒論』『金匱要略』の2書を考究したが,吉益東洞らの万病一毒論のような理論の限定・簡略化には批判的であった。天明7(1787)年に法印,尚薬奉御となって医学院の号を賜り,さらに後桜町天皇の侍医となり,のちには宮中への出入りを許されるなど,医家としての位を極めた。また私財を傾けて医学院を設け,儒学の基礎のうえに医学を教授するシステムにより多くの弟子を養成した。<著作>『斥医断』『医学院学範』<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史

(石田秀実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畑黄山」の解説

畑黄山 はた-こうざん

1721-1804 江戸時代中期-後期の医師。
享保(きょうほう)6年2月1日生まれ。畑柳景の養子。古医方をおこない,後桜町天皇の侍医となり,法印にすすむ。私財を投じて医学院をたて,医学教育に力をそそいだ。文化元年5月26日死去。84歳。京都出身。本姓は安藤。名は惟和。字(あざな)は厚生。通称は柳安。著作に「斥医断」「医学院学範」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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