畠山一清(読み)はたけやまいっせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「畠山一清」の意味・わかりやすい解説

畠山一清
はたけやまいっせい
(1881―1971)

実業家。石川県出身。1906年(明治39)東京帝国大学工科大学機械工学科卒業。鈴木鉄工所ほかを経て、12年(大正1)恩師井口在屋(いのくちありや)東大教授が発明した「ゐのくちポンプ」の企業化を目的にゐのくち式機械事務所を創設。これを発展させて20年荏原(えばら)製作所を設立し、専務就任。34年(昭和9)社長、62年(昭和37)会長となった。荏原を屈指のポンプメーカーに育てた。

[前田和利]

『畠山一清著『歴史をつくる人々 第14巻 熱と誠』(1965・ダイヤモンド社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山一清」の解説

畠山一清 はたけやま-いっせい

1881-1971 大正-昭和時代の実業家。
明治14年12月28日生まれ。東京帝大の恩師井口在屋(いのくち-ありや)教授が発明した渦巻きポンプ(ゐのくちポンプ)を事業化し,大正9年荏原(えばら)製作所を創立,昭和9年社長。35年畠山文化財団を設立した。発明協会会長。昭和46年11月17日死去。89歳。石川県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の畠山一清の言及

【井口在屋】より

…1905年,《渦巻ポンプの理論》と題する約300ページの英文論文を発表,同時に芝浦製作所で井口の理論に基づく実験用のタービンポンプを試作,理論,実験ともに世界的に先駆的なものであり,イギリス工業雑誌で高く評価された。井口は帝大工科大学の弟子であり,同郷の畠山一清の創立(1912)したポンプ設計事務所ゐのくち式機械事務所の運営に協力,同所は後に自家工場をもち,20年に荏原製作所と改称しポンプ専門メーカーとなった。【奥山 修平】。…

【コレクション】より

…また9000点に及ぶ浮世絵は東京国立博物館に収蔵されている。昭和に入って後は,〈油屋肩衝〉などの名物を中心に茶道具を集めた畠山一清(現,畠山記念館),松永安左衛門の《釈迦金棺出現図》をはじめとする仏教美術や茶道具の収集(没後,東京国立博物館,福岡市立美術館等へ),画家児島虎次郎が収集し大原孫三郎によって設立された大原美術館の近代絵画,彫刻などがあげられる。戦後では今日MOA美術館(熱海市)に収蔵,公開されている世界救世教教祖岡田茂吉のコレクション(光琳筆《紅白梅図》,仁清作〈色絵藤花文茶壺〉〈手鑑翰墨城〉など多岐にわたる),西洋近代絵画を中心とする石橋正二郎のコレクション(現,ブリヂストン美術館)などがあげられるが,特筆すべきは〈安宅コレクション〉であろう。…

※「畠山一清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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