畠山義英(読み)はたけやま・よしひで

朝日日本歴史人物事典 「畠山義英」の解説

畠山義英

没年:天文1.6.17(1532.7.19)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。基家の子。義就の孫。上総介。明応8(1499)年1月,父基家が畠山尚順に敗れて自害すると,家督を継いで河内守護となる。永正1(1504)年12月,尚順と和睦し北河内を支配するが,3年ほどで和睦は破れ堺へ脱出。翌年,足利義材(義尹,義稙)が将軍に復帰し細川高国政権が成立すると,対する細川澄元と結んで尚順に対抗した。同17年,尚順の子稙長の高屋城を攻め落とすが,澄元軍の敗北とともに吉野に落ちた。大永1(1521)年,稙長により紀伊を追われた尚順と和睦し,前将軍義稙に呼応して高屋城に稙長を攻めたが失敗。同3(1523)年には,子の義尭があとを継いでいる。

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山義英」の解説

畠山義英 はたけやま-よしひで

?-? 戦国時代の武将。
畠山義豊の子。父が畠山尚順(ひさのぶ)とあらそい戦死したのち,家督をついで河内(かわち)(大阪府)の守護となる。尚順,その子稙長(たねなが)と再三たたかい,大永(たいえい)元年(1521)尚順と和す。義英の子畠山義尭(義宣)は三好政長に味方したが,享禄(きょうろく)5年(1532)6月17日木沢長政に攻められ自殺。義英と義尭を同一人とみる説もある。

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