畠山高国(読み)はたけやま・たかくに

朝日日本歴史人物事典 「畠山高国」の解説

畠山高国

没年観応2/正平6.2.12(1351.3.10)
生年嘉元3(1305)
南北朝時代武将系図では国氏(時国)を父とするが1,2代欠落がある。官途は由緒ある上野介で,畠山氏の嫡流と考えられる。鎌倉幕府再興を図った中先代の乱(1335)鎮圧に向かう足利尊氏軍勢中にみえ,建武3/延元1(1336)年に伊勢守護となるが,奥州から西上した北畠顕家の軍勢を阻止できず,2年足らずで罷免貞和1/興国6(1345)年,嫡子国氏(その祖父と同名)が奥州両管領の一方に任じられ,多賀国府に下向するが,観応1/正平5(1350)年に観応の擾乱が勃発すると,いま一方の奥州管領足利直義党の吉良貞家に岩切城を攻められ自害一族の連携も,幕府要職の経歴もなく不遇に終わるが,国氏の子国詮は二本松畠山氏の祖となった。<参考文献>小川信『足利一門守護発展史の研究

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「畠山高国」の意味・わかりやすい解説

畠山高国 (はたけやまたかくに)
生没年:1305-51(嘉元3-正平6・観応2)

南北朝時代の武将。系図は時国の子とするが疑問。1335年(建武2)中先代の乱鎮定に向かう足利尊氏に従い,その後も足利方に属し南朝を攻撃,翌年伊勢守護に補任されるが,短期間で罷免される。45年奥州管領に補任された嫡子国氏とともに多賀国府に赴く。観応の擾乱が勃発すると尊氏を支持するが,直義方の奥州管領吉良貞家に攻められ岩切城で自害した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山高国」の解説

畠山高国 はたけやま-たかくに

1305-1351 南北朝時代の武将。
嘉元(かげん)3年生まれ。足利尊氏にしたがい,伊勢(いせ)守護となって南朝方とたたかう。嫡子国氏が尊氏方の奥州管領となると,ともに多賀国府におもむいた。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で足利直義(ただよし)方の管領吉良貞家に攻められ,観応2=正平(しょうへい)6年2月12日自害。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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