白井矢太夫(読み)しらい・やだいふ

朝日日本歴史人物事典 「白井矢太夫」の解説

白井矢太夫

没年:文化9(1812)
生年:宝暦3(1753)
江戸中期の庄内藩(山形県)藩士。久右衛門の長男,矢太夫は通称。東月と号した。18歳で同藩の加賀衛士に学び,徂徠学(古文辞学)を継承した。庄内藩の寛政改革では,藩主酒井忠徳を助け,寛政1(1789)年に提出した「上書」(改革意見書)が取り立てられ,7年に始まる改革首脳部のひとりとして,改革御用掛を命ぜられた。改革は矢太夫が立案した改革実施大綱に従って,農政,財政にわたって進められ,藩財政を再建した。藩校致道館も創設され,矢太夫が祭主(校長)となった。文化5(1808)年,中老に任ぜられたが,2年後に職を免ぜられた。<参考文献>『鶴岡市史』上

(横山昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白井矢太夫」の解説

白井矢太夫 しらい-やだゆう

1753-1812 江戸時代中期-後期武士
宝暦3年生まれ。出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩士。江戸で徂徠(そらい)学をまなぶ。帰藩後大目付,郡代,中老を歴任。農政,財政の改革や藩校致道館の創設に力をつくした。文化9年6月24日死去。60歳。名は重行。号は東月。著作に「周易解」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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