白川町(読み)しらかわちよう

日本歴史地名大系 「白川町」の解説

白川町
しらかわちよう

面積:二三八・〇〇平方キロ

加茂郡北部に位置し、飛騨川を中心に支流佐見さみ川・白川・くろ川・あか川などの流域に広がる山間地帯。東西二四キロ・南北二〇キロ。北は益田ました下呂げろ町・金山かなやま町、東は東白川ひがししらかわ村と恵那郡加子母かしも村・福岡ふくおか町・蛭川ひるかわ村、南は見行けんぎよう山を境に八百津やおつ町・恵那市、西は七宗ひちそう町と接する。鎌倉時代以降土着した黒川の纐纈氏、白川・佐見川筋の安江氏が勢力を張ったが、戦国期に恵那遠山氏が入り、両氏を従えた。織豊期には一時期金山かねやま(現可児郡兼山町)城主森長可の支配地となったが、江戸時代に入ると遠山氏苗木藩・尾張藩幕府領と入組んだ支配が行われた。

白川町
しらかわまち

[現在地名]松前郡松前町字大磯おおいそ・字建石たていし・字愛宕あたご

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。近世は松前城下の一町。愛宕川と化粧けしよう川の間、海岸沿いの生符いけつぷ町の北側台地上にある町。宝暦一一年(一七六一)の「御巡見使応答申合書」に町名がみえる。享保―延享期(一七一六―四八)に城下の人口増加とともに新たに町立てされた。武家屋敷地として開け、文化四年(一八〇七)の陸奥梁川やながわ(現福島県梁川町)転封以前には下国豊前・酒井栄・下国和多理・佐藤彦八ら有力家臣が居住していた(文化頃松前分間絵図)。寛政元年(一七八九)四月、菅江真澄太田おおた(現大成町)参詣のため下国季豊邸を出発している(蝦夷喧辞弁)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白川町」の意味・わかりやすい解説

白川〔町〕
しらかわ

岐阜県南東部,飛騨山地南部にある町。 1953年町制。 56年蘇原,佐見,黒川の3村と合体。中心集落の河岐は飛騨川と支流白川の合流点にあり,町域の大部分山地林業木材工業が主産業。特産の茶は白川茶として全国に出荷される。藤倉峡の景勝地,白川温泉のほか,白山神社には天然記念物大山の大スギがある。町域の一部飛騨木曾川国定公園に属する。飛騨川沿いを JR高山本線,国道 41号線 (飛騨街道) が通る。面積 237.90km2。人口 7412(2020)。

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