白河殿(読み)しらかわどの

精選版 日本国語大辞典 「白河殿」の意味・読み・例文・類語

しらかわ‐どの しらかは‥【白河殿】

白河法皇の御所南殿北殿があり、現在の京都市左京区の岡崎公園付近にあった。もと藤原良房山荘で、頼道の死後朝廷に献上され御所となる。のち、法勝(ほっしょう)寺が建立された。白河第(てい)白河院。白河別業。

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デジタル大辞泉 「白河殿」の意味・読み・例文・類語

しらかわ‐どの〔しらかは‐〕【白河殿】

京都市左京区にあった白河法皇の御所。藤原良房の山荘。のち、この地に法勝寺ほっしょうじが建てられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「白河殿」の意味・わかりやすい解説

白河殿 (しらかわどの)

平安時代の邸宅,院御所。白河の地は現在の京都市左京区の南辺,吉田山の南西部を北東から南西の方向に流路をもつ白川に沿った地域をいう。この地に早く藤原良房の経営した別荘白河殿があり,摂関家領として伝領されたが,師実の代に白河天皇に献上され,同天皇によって1075年(承保2)に再開発され77年(承暦1)に法勝寺が創建供養された。法勝寺西方の水石風流の地に所在した,宇治大僧正覚円の住房が白河上皇に進上され,95年(嘉保2)白河泉殿が造立された。1114年(永久2)に泉殿郭内に阿弥陀堂(蓮華蔵院本堂)が造立され,泉殿も修理されている。17年に三重塔が阿弥陀堂に付属して建立され,22年(保安3)にさらに塔が造立されている。白河法皇が29年(大治4)に没し,直後に泉殿内に白河法皇のために九体阿弥陀堂と三重塔が新造されている。そこで白河泉殿には御所施設のほかに九体阿弥陀堂2棟,塔3基が並び立っていたことになる。一方,白河法皇は1118年(元永1)に泉殿の北に新御所を造立し,在来の泉殿(南殿)に対して新御所は白河北殿と呼び区別された。29年に北殿は拡張改造された。そして44年(天養1)5月に焼失したが,年内に再建を終えている。56年(保元1)7月,鳥羽法皇の没直後に起きた保元の乱において,崇徳上皇の御所であった白河北殿は戦場となり火をかけられて焼失した。なお,1132年(長承1)に九体阿弥陀堂が新造供養され,宝荘厳院と命名された。この御堂は北殿の南に所在したらしいが,泉殿との関係位置を知る資料を欠いている。また,北殿東に34年に新御所が造立されている。59年(平治1)に北殿跡に千体阿弥陀堂が造立された。この堂は鳥羽法皇が造立発願したが,安置仏の一部が造られただけで没し,堂は未着工であった。これら白河泉殿,北殿の御所施設と御堂群は早く失われ,現存していない。泉殿跡は西は鴨川川原,南は二条大路,北は大炊御門に限る方2町の規模が考えられ,現在の聖護院蓮華蔵町付近に想定され,北殿は南を大炊御門,西を川原,北を中御門小路(春日北通)の範囲に想定される。
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世界大百科事典(旧版)内の白河殿の言及

【祇園女御】より

…祇園の南東角に堂を構えて当時からこの名でよばれた。白河殿ともいう。院の権威を背景に院近臣の藤原顕季や平正盛の堂などで盛大な仏事を行い貴族社会に影響力をもった。…

【白川】より

…京都市左京区を流れる鴨川東岸の支流。また白川流域一帯の古称。川は比叡山南側の大津市山中町付近から西へ下り,谷口で南へ向かい,吉田山の東側から岡崎を経て四条大橋北側で鴨川に合流する。途中,岡崎の南側では一部琵琶湖疎水と合流している。上流部一帯は花コウ岩地域であり,風化・浸食作用が著しく,同時に谷口から鴨川にかけては活発な堆積作用によって白川扇状地を形成した。花コウ岩質の砂の堆積で流れが白く見えるためにその名が生まれたといわれる。…

【藤原良房】より

…平安前期の官人。染殿大臣,白河殿とも称された。藤原冬嗣の二子で母は尚侍藤原美都子(大庭女王との説もある)。…

※「白河殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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