白河(読み)しらかわ

改訂新版 世界大百科事典 「白河」の意味・わかりやすい解説

白河[市] (しらかわ)

福島県中南部,中通り地方の南部にある市。2005年11月旧白河市と表郷(おもてごう),大信(たいしん),東(ひがし)の3村が合体して成立した。人口6万4704(2010)。

白河市南東部の旧村。旧西白河郡所属。人口7111(2005)。中通り南部,旧白河市の南に位置し,八溝山地を境に栃木県に接する。中央を阿武隈川水系の社川が東流し,標高350m前後の広い埋積谷に耕地が開けている。村名は江戸時代の郷名にちなむ。中心集落は国道289号線が通る金山で,黄金川上流には古代から金山が開かれ,遣唐使派遣の費用をまかなったと伝えられる。1971年には灌漑用水犬神ダムが完成,圃場整備も完了し,農業の近代化が進んだ。白河関関山は奥の細道自然歩道の〈関の道〉となっている。イグサの変種ビャッコイの自生地がある。
執筆者:

白河市中部の旧市。1949年市制。人口4万7854(2005)。市域は阿武隈川上流域にあり,標高350m前後の河川沿岸低地とそれらをとりまく標高450~600mの丘陵地からなり,南西部は栃木県に接する。中心市街地は阿武隈川南岸の段丘上に位置し,江戸時代から小峰城の城下町として形成され発展した。明治10年代の火災で町の大半が焼失したが,町人町には昔の町割りが残っており,丁字路や屈曲する街路がみられる。江戸時代から開かれた馬市は,明治以降も活況を呈し,年々1万頭前後の馬が市に出されるほどであったが,その後農業の機械化とともに馬飼育が衰退し,1964年馬市は消滅した。1887年日本鉄道(のちのJR東北本線)が郡山まで開通してから製糸業が盛んになったが,現在は電気機器工業が市全体の32%の工業出荷額(1995)をあげ,ほかに金属工業などが盛んである。東北本線,東北新幹線,東北自動車道,国道4号線が南北に走る。市内には小峰城跡南湖公園史跡のほか,南部の旗宿(はたじゆく)には国の史跡白河関跡がある。また西方の甲子(かつし)高原や甲子温泉にバスが通じている。
執筆者:

陸奥国白河郡の城下町,奥州道中の宿駅。白河関で知られるように,往古から陸奥の表玄関にあたる。天王山遺跡など原始・古代の遺跡も多く,大化前代には白河国造が支配した。《和名抄》によれば白河郡があって,17郷からなり,728年(神亀5)白河軍団が置かれた。源頼朝の奥州征伐後,結城氏が領し,1289年(正応2)搦目城を築いて白川氏をとなえた。

 1627年(寛永4)丹羽長重が10万0700石で入部し,白河小峰城の大改修を行い近世城郭の偉容を整え,城の南側に大手門を設け,これとともに家中屋敷,町人町を設定するなど城下町の町割りを行った。奥州道中の宿駅であり,奥羽諸大名の参勤交代の要路であったことから,白坂宿から城下に入ると,天神町,中町,本町,横町,田町と並び,これを通り五町と呼んだ。本町には本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠屋35軒が軒を並べた。寛文年間(1661-73)では侍屋敷を除く町屋敷940軒,町人7544人(男4220,女3324)であり,1843年(天保14)人数5959,家数1285軒であったといわれる。白河藩主松平定信は老中辞任後,再度藩政にとりくみ,馬市の新設,南湖の開削,ガラス,陶器などに力を注ぎ,1791年(寛政3)藩校立教館を創設,99年庶民教育のための敷教舎を白河,須賀川に設立した。
白河藩
執筆者:

白河市北部の旧村。西白河郡所属。人口4789(2005)。中通り地方の南部に位置し,南は旧白河市に接する。村域の大半が山地で,西部の権太倉山より阿武隈川の支流隈戸川が東流して流域に平地をつくる。農業は,平地では米作,西部山麓地帯では畜産が行われるが,生産性が低いため兼業率が高く,近年は旧白河市,矢吹町,西郷村などへの通勤者が増加している。町東端に東北自動車道矢吹インターチェンジがある。

白河市東部の旧村。旧西白河郡所属。人口5953(2005)。中通り地方の南に位置し,西は旧白河市に接する。東にゆるく傾斜する洪積丘陵地帯に村域が広がり,北端を阿武隈川,中央部をその支流矢武川が東流する。耕地は河川流域の平たん地と,丘陵を開いて造成した果樹園などからなる。中心集落の釜子(かまのこ)は,近世には越後高田藩領で陣屋が置かれた。稲作と葉タバコ栽培が営まれてきたが,近年はリンゴ,モモ,ブドウの果樹栽培や畜産などもとり入れている。首都圏への交通の便のよさから,住宅団地や工業団地が造成された。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「白河」の解説

白河
しらかわ

白川とも。京都の鴨川の東側一帯をさす。かつて京都の東北部から鴨川に合流していた白川流域の扇状地にあたる。本来は,現在の京都市左京区北白川あたりから左京区岡崎あたりまでをさしたようだが,平安末期に院の御所や六勝寺などがたてられて都市化が進み,鴨川の東側一帯が白河の語で代表されるようになった。その繁栄ぶりから,「京・白河」と京に並び称された。江戸時代の白川村は現在の北白川にあたる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白河」の意味・わかりやすい解説

白河
はくが

ハイ(海)河」のページをご覧ください。

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