白滝遺跡(読み)しらたきいせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白滝遺跡」の意味・わかりやすい解説

白滝遺跡
しらたきいせき

北海道遠軽白滝湧別川と支湧別川の流域一帯に分布する,北海道における先土器時代の代表的な遺跡。 70ヵ所以上の遺跡が知られている。河野広道,名取武光らによって,1940年に報告されたが,具体的な調査が始まったのは第2次世界大戦後で,吉崎昌一や白滝遺跡団体研究会によって,科学的なメスが入れられた。地質学的にみると,放射性炭素による年代測定 (→ラジオカーボンデーティング ) ,黒曜石水和層年代測定法による測定値などから,これらの遺跡の年代は2万~1万 2700年以前の間で,関東地方の立川ローム層 (→関東ローム層 ) に含まれる各段階の石器文化と対比することができ,一方,裴文中によれば,北東アジアの後期旧石器時代の後半から中石器時代末期のジャライノール文化 (→ジャライノール〈扎賚諾爾〉 ) にいたる各段階に対比することができるという。特に,白滝遺跡出土の楔形石核の特殊な製作技術 (湧別技法 ) が明らかにされ,そのような石核が中国の七角井子,顧郷屯遺跡やシベリア出土の石核に類似することから,大陸との文化的な関連が示された意義は大きい。 1989年白滝遺跡群として国の史跡に指定された。

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改訂新版 世界大百科事典 「白滝遺跡」の意味・わかりやすい解説

白滝遺跡 (しらたきいせき)

北海道地方の代表的な旧石器文化の遺跡。網走支庁紋別郡遠軽町の旧白滝村にあり,おもに湧別川の右岸,支湧別川との間のなだらかな丘陵をなす三角地帯に分布する70余の遺物出土地点の総称である。付近に黒曜石の原産地がある。1927年に遠間栄治により発見され,遺物は38年に河野広道らによって紹介されたが,旧石器時代のものと確認されたのは55年以降の吉崎昌一の調査による。発掘調査は55-60年に行われ,遺物の種類と出土状態からⅠとⅡの文化層に分けられた。白滝Ⅱ文化の石器群には両面加工のポイントと,湧別技法と呼ばれる特徴的な製作技術によって作られた白滝型舟底石器を伴うが,Ⅰには伴わない。この特殊な技法による石器は,北東アジアからアラスカにかけて類似のものが分布し,それらの文化と密接な関連のあったことがうかがわれる。年代は炭素14法と黒曜石の水和層測定により,Ⅰが20000~15500年B.P.,Ⅱが15000~12000年B.P.にわたるものと推定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白滝遺跡」の意味・わかりやすい解説

白滝遺跡
しらたきいせき

北海道オホーツク総合振興局管内の遠軽(えんがる)町白滝地区にある先縄文時代遺跡の総称。村内を貫流する湧別(ゆうべつ)川の本・支流の河岸段丘上に多くの遺跡がみられる。この地は置戸(おけと)と並ぶ道内最大の黒曜石原産地であり、これを利用するため人々が集まり、数多くの遺跡が残されたものであろう。調査は1955年(昭和30)以来、吉崎昌一、北海道大学、白滝団体研究会、明治大学、北海道教育委員会などによって行われたが、その全容をつかむには至っていない。出土遺物は黒曜石製の石器、石刃(せきじん)、剥片(はくへん)、石核(せっかく)などで、黒竜江(アムール川)流域を中心にした東北アジアとの関連が深いと考えられる細石刃を主体にする石器群と、それをもたない石器群とに大別することができる。それぞれの石器群のなかも細別されてはいるが、それら相互の関係については定説が得られていない。発見の端緒となったのは、遠軽町在住の遠間栄治(とおまえいじ)による採集であり、その採集品は遠軽町先史資料館に展示されている。

藤本 強]

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