百済明信(読み)くだらの みょうしん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百済明信」の解説

百済明信 くだらの-みょうしん

737-815 奈良-平安時代前期の女官
天平(てんぴょう)9年生まれ。百済敬福(きょうふく)の孫。藤原継縄(つぐただ)の妻。藤原乙叡(たかとし)の母。夫,息子とともに桓武(かんむ)天皇に優遇され,尚侍(ないしのかみ)となる。延暦(えんりゃく)16年能登(のと)(石川県)羽咋(はくい)・能登2郡の没官田と野,計76haをあたえられた。のち従二位。弘仁(こうにん)6年10月15日死去。79歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の百済明信の言及

【百済氏】より

…古代日本における百済出身の渡来氏族。渡来時期は一定しないが,ほとんど7世紀後半の百済滅亡前後であろう。狭義の百済氏は公(君)・連姓や姓のないものなどがあり,奈良時代下級官人になるものが多い。百済王族より出る余氏や鬼室氏は奈良時代以降百済朝臣を称した。余氏系には9世紀初,官人・画家百済河成がいる。また滅亡前の舒明朝ごろ渡来した百済義慈王の子禅広(善光)は693年(持統7)百済王の姓を与えられた。百済王氏は多く東北経営の担い手として重用され,百済敬福は749年(天平勝宝1)陸奥守として東大寺盧遮那仏(るしやなぶつ)鍍金用の黄金を朝廷に献じた。…

※「百済明信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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