皇城新聞(読み)こうじょうしんぶん

改訂新版 世界大百科事典 「皇城新聞」の意味・わかりやすい解説

皇城新聞 (こうじょうしんぶん)

朝鮮の李朝末期にソウルで発行された日刊新聞。1898年5月,南宮檍が社長となって創刊国漢文漢文ハングル混用体)を用いた。論説陣には朴殷植張志淵申采浩柳瑾らを擁し,初期には独立協会を擁護し開明的な論陣を張った。1904年11月に当時の社長張志淵は保護条約締結を指弾する論説を掲げ,翌年2月まで停刊させられた。その後も韓国統監府圧力により停刊,記事削除などの処分をしばしば受けた。10年8月の日韓併合後,《漢城新聞》と改題し,9月に資金難のため廃刊となった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「皇城新聞」の解説

『皇城新聞』(こうじょうしんぶん)

朝鮮王朝末期に漢城(ソウル)で発行された日刊新聞。1898年,南宮檍(なんくおく),張志淵(ちょうしえん),羅寿淵(らじゅえん)らが『大韓皇城新聞』の版権を引き受け,ハングル漢字を混用して発行した。乙巳(いつし)保護条約の不当性を論じて停刊処分。その後も韓国統監府により停刊および記事削除の処分を数回受けた。日本の韓国併合後『漢城新聞』に改題したが,1910年9月に資金難で廃刊された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「皇城新聞」の意味・わかりやすい解説

皇城新聞
こうじょうしんぶん
Hwang-sǒng-sin-mun

朝鮮,光武2 (1898) 年から隆煕4 (1910) 年まで,独立協会員,南宮檍,羅寿淵,柳瑾らにより,『大韓皇城新聞』の版権を受けて発刊された新聞。4頁,平版印刷の日刊紙で,ハングルと漢文の混合体。のちに張志淵,申釆浩,朴殷植らが加入,光武9 (05) 年の乙巳保護条約に反対して停刊命令を受けるなど,反日独立の性格が強い新聞。日韓併合と同時に廃刊された。

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世界大百科事典(旧版)内の皇城新聞の言及

【張志淵】より

…高宗32年(1894)進士に及第。1899年《皇城新聞》主筆。ついで広文社を設立し丁若鏞の《牧民心書》等を刊行。…

※「皇城新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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