皮日休(読み)ひじっきゅう

精選版 日本国語大辞典 「皮日休」の意味・読み・例文・類語

ひ‐じっきゅう ‥ジッキウ【皮日休】

中国晩唐文人。字(あざな)は逸少・襲美。酔吟先生と号した。襄陽湖北省)の人。陸亀蒙と親しく「皮陸」と並称された。太常博士となったが、黄巣の乱で反乱側に立ち、黄巣に疑われて殺されたといわれる。著に「皮氏文藪(ひしぶんそう)」「松陵唱和集」など。(八三四頃‐八八三頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皮日休」の意味・わかりやすい解説

皮日休
ひじつきゅう
(834―883)

中国、晩唐の文学者。字(あざな)は逸少(いっしょう)、のち襲美(しゅうび)と改めた。襄陽(じょうよう)(湖北省)の出身。867年(咸通8)の進士。唐王朝最末期の爛熟(らんじゅく)した時代に、身分の低い家柄に生まれたため、当時の現実を鋭く認識した作品を残した。尊敬した先輩詩人白居易(はくきょい)がつくった一連の社会批判詩「新楽府(しんがふ)」に倣って、皮日休にも「正楽府(せいがふ)」10首の連作があり、当時の暗黒社会への深い憤りがうかがえる。彼が黄巣(こうそう)の樹立した政権に参画して翰林(かんりん)学士となったことを踏まえて、近来、中国においてはその「人民性」「社会性」が高く評価される詩人である。しかしその一面で、友人の陸亀蒙(りくきもう)との贈答詩集『松陵集(しょうりょうしゅう)』10巻にみられるように、山水自適の娯(たの)しみを詠じるのもまた、白居易の閑適詩(かんてきし)の側面を継承するものである。『皮子文藪(ひしぶんそう)』10巻がある。

[野口一雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「皮日休」の意味・わかりやすい解説

皮日休
ひじっきゅう
Pi Ri-xiu

[生]太和7(833)?
[没]中和3(883)
中国,晩唐の文学者。襄陽 (湖北省) の人。字,逸少,のち襲美。郷里に近い鹿門山に隠棲して酒と詩を友とし,酔吟先生,間気布衣 (ほい) と号した。咸通8 (867) 年進士に及第,蘇州刺史崔璞 (さいはく) の軍事判官となった。のち著作郎,太常博士を歴任後,黄巣の乱に参加。その政府の翰林学士に任じられたが,黄巣をそしった疑いで殺された。唐末の混乱期に,『正楽府』と題する詩をつくって政治を鋭く批判したが,「皮陸」と並称される友人の陸亀蒙と唱和した詩などには閑寂な境地をうたったものも多い。また散文でも韓愈の流れをくんだ古文で,史論,小品文にやはり鋭利な批判をこめたすぐれた作品を残した。主著『皮子文藪』 (10巻) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「皮日休」の意味・わかりやすい解説

皮日休 (ひじつきゅう)
Pí Rì xiū
生没年:834?-883?

中国,晩唐の詩人。字は逸少,のち襲美。襄陽(湖北省)の人。初め郷里の鹿門山(湖北省)に隠棲していたが,のちに官途に就き太常博士になった。黄巣の反乱のとき,反乱側の政権に加担したが,のち黄巣に疑われて殺されたという。陸亀蒙との唱和詩を集めた《松陵集》10巻が有名である。また,白居易を崇拝して,その〈新楽府(しんがふ)〉の精神を受け継いだ社会詩をも残しており,〈正楽府(せいがふ)〉10首が知られている。《皮子文藪》10巻が伝わる。
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