益田縄手(読み)ますだのなわて

改訂新版 世界大百科事典 「益田縄手」の意味・わかりやすい解説

益田縄手 (ますだのなわて)

奈良時代技官生没年不詳。越前国足羽郡の人。756年(天平勝宝8)造東大寺司下の造大殿(大仏殿)所の大工として見えるのが初見,ときに正六位上。その後も同所に勤務し,翌年外従五位下に昇ったのはほぼ工事の終わったことを示すか。762年(天平宝字6)造東大寺司により,石山寺の作事の監察に派遣された。また764年従五位下に昇り,765年(天平神護1)連姓を賜った。768年神護景雲2)遠江員外介に任ぜられ,翌年従五位上になった。《東大寺要録》に載せる〈大仏殿碑文〉には大工従五位下としてその名が見えるが,そこに引く〈或日記〉によると小工従四位下益田縄手はもと和泉国人で,紀伊権守に任ぜられたという。
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朝日日本歴史人物事典 「益田縄手」の解説

益田縄手

生年:生没年不詳
東大寺造営の技術者。大工。越前国(福井県)足羽郡出身。足羽郡大領の生江東人や越前国史生,造東大寺司主典の安都雄足らの推挙によって造東大寺司に勤めることになったと推察される。天平勝宝8(756)年2月に大仏殿院工事を担当する現場「造大殿所」の統率者である大工として従事,翌年正六位上から外従五位下となった。天平宝字2(758)年に銭300文を納めて,大般若経の書写にかかわっており,6年には経師秦男公を写経所に推薦している。この年木工の技術に優れていたため石山寺(大津市)造営工事について意見を求められた。8年従五位下,天平神護1(765)年,無姓から連の姓を賜り,西大寺(奈良市)の造営にも関与した。神護景雲3(769)年従五位上にのぼった。技術者で内位を授けられた特異な人物である。<参考文献>井上薫『奈良朝仏教史の研究

(岩本次郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「益田縄手」の解説

益田縄手 ますだの-なわて

?-? 奈良時代の工匠
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)8年(756)東大寺大仏殿建立で大工(だいこう)をつとめたという。連(むらじ)の姓(かばね)をあたえられ,従五位上となった。越前(えちぜん)(福井県)出身。

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