直方平野(読み)のおがたへいや

改訂新版 世界大百科事典 「直方平野」の意味・わかりやすい解説

直方平野 (のおがたへいや)

福岡県北部遠賀(おんが)川とその支流彦山川流域に形成された沖積平野飯塚嘉穂),田川などの小盆地を含み,水系に沿って多数の狭長な谷底平野が樹枝状に広がっている。直方から下流東西3~8km,南北約20kmの三角州性低地をとくに遠賀川平野と呼ぶこともある。

 貝塚の分布で,かつては河口の芦屋から十数kmの入海であったと推定され,遠賀川の河床傾斜も1/8000~1/10000にすぎない。また河口が砂丘によって狭められていることもあって,古来洪水に悩まされた。このため治水工事も早くから進められており,明治期に石炭水運で活躍した堀川運河(遠賀川下流部と洞海湾とを結ぶ。全長7.6km。1621年着工,1762年完成)も,遠賀川の水の一部を排水するため福岡藩が建設したものである。

 弥生時代前期の遠賀川式土器で知られるように,古くから開けた水田地帯で,有数の米産地であった。明治中期からの筑豊炭田の大規模な開発によって日本一の鉱業地域が形成され,密集した炭住やボタ山などの活気ある景観を現出した。しかし平野下部の古第三紀層から大量の地下水を排水しながら採炭したため,水没田その他の激しい鉱害を生じ,1950年代後半からの石炭合理化政策によって,下流域だけで80近くもあった炭鉱は75年にはすべて姿を消した。多数の支線をもつ筑豊本線や国道200号線が南北に走り,鹿児島本線,国道3号線,九州自動車道が北部を横断している。また北九州市に隣接する直方・中間(なかま)両市や周辺の町は住宅地の造成が盛んである。1970年代に入って人口増加に転じている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「直方平野」の意味・わかりやすい解説

直方平野
のおがたへいや

福岡県北部、遠賀川(おんががわ)の中・下流に広がる沖積平野。遠賀川平野ともよばれる。東西3~8キロメートル、南北約20キロメートルの上流域が盆地状に広がっている平野で、下流域が狭いのと河床勾配(こうばい)が緩やかなために古来洪水が多く、明治時代中期までは弥生(やよい)時代の遺跡が分布する古い水田地帯であった。その後、大規模な筑豊炭田(ちくほうたんでん)の開発によって、日本の代表的な炭鉱地域となったが、炭鉱跡の地割れ、水没などの鉱害や水害が多発し、鉱害の復旧工事が進められている。現在は炭鉱の閉山による大量の失業者の出現により活気を失ったが、産炭地域振興による企業誘致や工業団地造成が進行、ボタ山と炭住に代表される平野景観を変えつつある。

[石黒正紀]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「直方平野」の意味・わかりやすい解説

直方平野
のおがたへいや

遠賀川平野ともいう。福岡県北部,遠賀川の中・下流域を占める平野。中心地は直方市。古くから開発された水田地帯であったが,明治中期以後,周囲の古第三紀層の炭田を開発し,炭鉱地帯として発展した。 1960年代から閉山が相次ぎ,現在は農村地帯に復帰。炭鉱跡地には産炭地域振興事業による工場団地が造成され,多数の工場が進出している。

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