相馬(読み)そうま

精選版 日本国語大辞典 「相馬」の意味・読み・例文・類語

そうま サウま【相馬】

[1]
[一] 福島県北東端の地名。江戸時代、相馬氏六万石の城下町として発展した中村が中心地。相馬野馬追祭は有名。昭和二九年(一九五四)市制。
[二] 福島県の北東部、太平洋に臨む郡。かつては相馬市原町市も含まれた。
[三] 下総国の中央部にあった郡。利根川両岸にまたがる地域。現在の茨城県取手市・守谷市、千葉県柏市・我孫子市周辺にあたる。
[2]
② 紋の一つ。陸奥国、相馬氏の代表的家紋、つなぎ馬紋のこと。

そう‐ば サウ‥【相馬】

〘名〙 馬の姿形を観察して、そのよしあしを見抜くこと。馬の観相。
米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉三「水車、水碓、風車、風磨の雛形、相馬の図、土質の図」 〔史記‐滑稽伝〕

そう‐ま サウ‥【相馬】

そうま サウま【相馬】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「相馬」の意味・読み・例文・類語

そうま【相馬】[地名]


福島県北東部の市。中心地区の中村はもと相馬氏の城下町。臨海工業や水産業が行われる。相馬野馬追いの行事は有名。人口3.8万(2010)。
福島県の太平洋岸沿い北部の郡名。かつては相馬市・原町市も含まれた。相馬氏の所領にあたる。
下総しもうさの地方名。利根川中流部、茨城県取手市・守谷市や千葉県柏市・我孫子市周辺にあたる。

相馬縮」の略。
相馬焼」の略。

そうま【相馬】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「相馬」姓の人物
相馬御風そうまぎょふう
相馬黒光そうまこっこう
相馬大作そうまだいさく

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日本歴史地名大系 「相馬」の解説

相馬
そうま

中世後期からみえる地名で、相馬氏の所領をさすとみられる。時期による変化もあったと思われるが、行方なめかた郡域の現原町市、相馬郡小高おだか町・鹿島かしま町・飯舘いいたて村、宇多うだ郡域の現相馬市・相馬郡新地しんち町、さらには標葉しねは郡域内の双葉郡浪江なみえ町・双葉町を加えた一帯に比定される。また相馬氏の居城である中世の小高城(現小高町)、近世の中村城(現相馬市)をさす場合もあったと推測される。下総国相馬郡を本領とする相馬師常(千葉介常胤の次男、相馬師国の養子)は、文治五年(一一八九)の奥州合戦の戦功により陸奥国行方郡を与えられ、元亨三年(一三二三)相馬重胤が同郡に下向している(「相馬系図」歓喜寺蔵など)

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改訂新版 世界大百科事典 「相馬」の意味・わかりやすい解説

相馬[市] (そうま)

福島県北東部,浜通り北部に位置する市。1954年市制。人口3万7817(2010)。市域は東西に長く,東は太平洋に面し,東部は標高200m以下の丘陵,台地,沖積低地および松川浦などからなる。西部は阿武隈高地の北部に属し,西端には標高825mの霊山りようぜん)がある。宇多川をはじめとする河川が東流し,その流域に水田が開け,集落が点在する。弥生時代,古墳時代の遺跡が多く,古くから開発されていたものと思われる。中世以後,相馬氏の領有するところとなり,1611年(慶長16)相馬利胤(としたね)が中村に馬陵城を築き,城下に家臣を住まわせて以来,相馬氏6万石(相馬中村藩)の城下町として発達した。明治維新後,町勢は一時衰えたが,現在は常磐線,国道4号,113号,115号線が通じ,相馬地方北部の中心地となっている。松川浦でノリやカキが養殖され,潮干狩りでにぎわう。その北部の原釜港は江戸時代の東廻海運の寄航地であったが,1961年から相馬港として築港され,その背後の新沼には工業団地が造成され,企業誘致が進められている。勇壮な相馬野馬追や《相馬盆踊歌》《新相馬節》などの民謡が知られる。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明459人,全壊住宅1120戸にのぼった。
執筆者:

相馬(青森) (そうま)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相馬」の意味・わかりやすい解説

相馬
そうま

青森県南西部、中津軽郡にあった旧村名(相馬村(むら))。現在は弘前(ひろさき)市の南西部を占める地域。2006年(平成18)弘前市に合併。南部は白神(しらかみ)山地、北部は岩木川右岸にあたる。南北朝以来の歴史的伝説が多く、紙漉沢(かみすきさわ)は南朝の長慶天皇(ちょうけいてんのう)の終焉(しゅうえん)の地といわれる。秋田県境の長慶森にはかつて金山があったといい、西部の舟打鉱山は1962年(昭和37)まで鉛や亜鉛を採掘した。山地は国有林で占められ、狭い谷間に集落や耕地が分布している。水田が高所まで開かれ、傾斜地はリンゴ園となっている。

[横山 弘]

『『相馬村誌』(1982・相馬村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相馬」の意味・わかりやすい解説

相馬
そうま

青森県南西部,弘前市南部の旧村域。白神山地北斜面にある。南は秋田県に接する。 1889年湯口村,黒滝村,五所村,水木在家村紙漉沢村坂市村,藤沢村,大助村,藍内村,沢田村の 10村と合体し相馬村となる。 2006年弘前市,岩木町と合体して弘前市となった。大部分が山地で,岩木川の支流に沿う谷底平野では,米作やリンゴの栽培が行なわれる。

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百科事典マイペディア 「相馬」の意味・わかりやすい解説

相馬【そうま】

福島県浜通り北部の地方名。旧相馬藩領で,ほぼ相馬・原町(現・南相馬市)と相馬郡に当たる。阿武隈高地中の山中(さんちゅう)郷,東部低地の内郷に分かれ,藩政時代馬産地として有名。

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普及版 字通 「相馬」の読み・字形・画数・意味

【相馬】そうば

馬の相を見る。

字通「相」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の相馬の言及

【中村】より

…陸奥国宇多郡の城下町で,現在は福島県相馬市(1954市制)の中心地区をなす。《和名抄》に宇多郡仲村郷があり,801年(延暦20)坂上田村麻呂が蝦夷出兵のとき,西館(現在の中村城跡の西部一帯)に菅原啓実が館を構えていたと伝えられる。…

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