真木長義(読み)まき・ながよし

朝日日本歴史人物事典 「真木長義」の解説

真木長義

没年:大正6.3.3(1917)
生年:天保7.5.15(1836.6.28)
明治期の海軍軍人。佐賀藩士の子。安政2(1855)年から約3年半,幕府諸藩の伝習生と共に長崎海軍伝習所教練を受ける。オランダ人教師団の下で,艦船の運用術などを修得,藩主から優等賞を授けられた。維新後,兵部省,海軍省に勤務。明治14(1881)年に榎本武揚海相の求めに応じて,海軍制度改革案を提出した。18年中将に進む。22年から宮中顧問官,伏見宮別当を務めた。のち貴族院議員。<参考文献>藤井哲博『長崎海軍伝習所

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真木長義」の解説

真木長義 まき-ながよし

1836-1917 幕末-大正時代の武士,軍人
天保(てんぽう)7年5月15日生まれ。肥前佐賀藩士。長崎の海軍伝習所にまなび,佐野常民(つねたみ)らと藩の海軍所を創設した。戊辰(ぼしん)戦争では電流丸艦長。維新後は海軍にはいり,明治18年中将,海軍機関学校校長となる。のち宮中顧問官,貴族院議員。大正6年3月3日死去。82歳。通称は安左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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