石垣港(読み)いしがきこう

日本歴史地名大系 「石垣港」の解説

石垣港
いしがきこう

石垣島南岸、石垣市街地の南に隣接する重要港湾。王府時代登野城とうぬすく村地先の美崎みしやぎい浜には美崎みしやぎい(美崎津)があった。美崎泊は石垣いしやなぎい(石垣津)ともいわれ、川平かびいら津、よちん津(現竹富町)とともに王府への上納米の集荷・積出港であり、八重山の行政庁である蔵元の前方に位置する重要な湊であった。正保国絵図には「御崎泊みさきとまり」とあり、川平津まで六里、竹富たけとみ(現竹富町)まで一里二六町、西表いりおもて祖納すね(現同上)まで一一里の航路が描かれており、御崎泊から宮古島・沖縄島へは石垣島西廻航路であったことがわかる。また御崎泊は西側に「御崎おかみ」という小さな突出部があるものの湾入はほとんどなく、「船懸り不成」と記されているが、両島絵図帳には「ミさき泊船之掛所、干瀬之間広サ二十四間・深サ汐干ニ八尺 但汀より船掛所之間三十間」とあり、船の係留所があった。大部分が遠浅の砂浜海岸である石垣島南西部で美崎浜が船掛所となったのは、石垣島と西表島の間に広がる石西せきせい礁湖外縁のリーフが美崎東方のサクラ口で切れ、干満のたびにリーフ内に出入りする潮流が美崎の海底を谷状に残し、停泊可能な水深が保たれたためである。しかし船掛所は潮流が激しい荒場のため、蔵元所有の大型地船は係留せずに陸揚げして保管した。船の揚げ下ろしは人夫二千二〇〇人余がスラ(修羅)を引いて行っていたが、康熙一六年(一六七七)に石垣親雲上がスラ所(船溜)を掘り、浮かせながら揚げ下ろしができるようにした(長栄姓小宗系図家譜・八重山島年来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「石垣港」の解説

石垣港

沖縄県にある港。八重山群島の石垣島の南端に位置する。1972年5月、沖縄の本土復帰に伴い復帰。港湾管理者は、石垣市。日本最南端の重要港湾(1972年5月指定)。港湾区域面積は、1,630ヘクタール。八重山群島の島々と結ぶフェリーが発着し、観光の拠点となる。

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