石塚竜麿(読み)イシヅカタツマロ

デジタル大辞泉 「石塚竜麿」の意味・読み・例文・類語

いしづか‐たつまろ【石塚竜麿】

[1764~1823]江戸中期の国語学者。遠江とおとうみの人。本居宣長もとおりのりなが弟子。「古言清濁考こげんせいだくこう」「仮名遣奥山路かなづかいおくのやまじ」を著し、上代特殊仮名遣い研究先駆となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「石塚竜麿」の解説

石塚竜麿

没年:文政6.6.13(1823.7.20)
生年明和1(1764)
江戸時代の国学者。屋号は槙舎。遠江国敷智郡細田村(静岡県浜松市)の庄屋石塚司馬右衛門の次男天明6(1786)年同国大谷村の庄屋内山真竜に,寛政1(1789)年には松坂本居宣長に入門。京都へ随行するほど晩年の宣長には信頼された。宣長の上代国語研究に実証的な裏付けを加え,仮名用法についての著作『古言清濁考』(1801),『仮名遣奥山道』(1798年序文)や古典注釈書などをものした。当時その『清濁考』を「宣長が説に協へるを正とし,其説に違へるは古書といへども不正とせり。古へを誣るの甚しきにあらずや」(荒木田久老『信濃漫録』)と難じられることもあったが,万葉仮名の使い分け法について多くの新事実を解明し得た。<参考文献>小山正『石塚竜麿の研究』

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石塚竜麿」の解説

石塚竜麿 いしづか-たつまろ

1764-1823 江戸時代中期-後期の国学者。
明和元年生まれ。生家は遠江(とおとうみ)(静岡県)敷知郡の大庄屋。内山真竜(またつ),本居宣長(もとおり-のりなが),本居春庭(はるにわ)にまなぶ。「かなつかひおくの山路」「古言清濁考」など古代の特殊かなづかいの研究で業績をのこした。文政6年6月13日死去。60歳。名ははじめ矩慶(のりよし)。通称は安右衛門。屋号は槙屋(舎)(まきのや)。著作はほかに「万葉集漂柱(みおつくし)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の石塚竜麿の言及

【仮名遣い】より

…また江戸時代の国学者の中には,契沖の学問をついで万葉仮名の用法を詳しく調査し,従来知られていなかった万葉仮名使用上の区別が奈良時代の文献にあることを明らかにし,万葉仮名によって擬古文を記すときの規範にすべきだと考えたものがある。石塚竜麿の《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》,草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)の《古言別音鈔(こげんべつおんしよう)》,奥村栄実の《古言衣延弁(こげんええべん)》などがそれである。しかし,これは世間に一般的な影響を与えるほどには広まらなかった。…

【仮字遣奥山路】より

…江戸後期の国学者石塚竜麿(1764‐1823)の著した語学書。3巻。…

【国語学】より

…このような点に関しての研究は,明治以後の字音研究にまたなければならない。つぎに,宣長の弟子,石塚竜麿は,宣長の指導によって,いわゆる上代特殊仮名遣いを精査し,その結果を《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》と題して発表した。しかし,竜麿の明らかにしたところは,いろは四十七文字に,直接,関係をもたないものであったから,そのすぐれた業績も,実際の仮名遣いの問題の上にはなんらの波紋を起こすことなくして埋もれて終わった。…

【万葉仮名】より

…その事実に着目したのが本居宣長で,《古事記伝》総論に〈仮字の事〉として万葉仮名を概説するとともに,同じ音と考えられる万葉仮名の使い分けを論じた。それを受けて,石塚竜麿(いしづかたつまろ)の《古言清濁考》《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》が生じ,橋本進吉に引き継がれて,橋本のいわゆる〈上代特殊仮名遣い〉の事実の発見となった(表,表(つづき)を参照されたい)。 平安時代を含めて以後の時代の万葉仮名は,奈良時代およびそれ以前の場合とは違って,平仮名と同じく清濁を区別しないものとなり,また音韻組織の変化(甲・乙2類の音の区別の消失)に応じて変貌(へんぼう)した。…

※「石塚竜麿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android