石川精舎(読み)イシカワノショウジャ

デジタル大辞泉 「石川精舎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐の‐しょうじゃ〔いしかは‐シヤウジヤ〕【石川精舎】

敏達天皇13年(584)蘇我馬子そがのうまこ石川自宅百済くだら伝来の仏像を安置した仏殿。日本最初の寺で、橿原市石川町にある本明寺がその遺址といわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「石川精舎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐の‐しょうじゃ いしかはシャウジャ【石川精舎】

敏達天皇一三年(五八四蘇我馬子が石川の自宅に仏像を安置したというわが国最初の寺。現在の奈良県橿原市石川町の浄土宗本明寺の地とされる。

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日本歴史地名大系 「石川精舎」の解説

石川精舎
いしかわのしようじや

日本書紀」敏達天皇一三年条に「馬子宿禰、亦、石川の宅にして、仏殿を修治る。仏法の初、より作れり」とある。所在について「大和志」に「石川廃精舎、石川村古址、今有本明寺及石浮屠ふと高丈余許」とあり、現奈良県橿原市石川町の浄土宗本明ほんみよう寺の地をその跡と伝える。しかし、同寺付近には古瓦出土もないことから、他に求めるべきともいわれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川精舎」の意味・わかりやすい解説

石川精舎
いしかわのしょうじゃ

日本最古の寺院といわれる。奈良県橿原(かしはら)市石川町に遺跡がある。『日本書紀』によると、敏達(びだつ)天皇13年(584)百済(くだら)から帰朝した鹿深臣(かふかのおみ)と佐伯連(さえきのむらじ)が2体の仏像を持ち帰ったが、これを得た蘇我馬子(そがのうまこ)は自邸東方に仏殿をつくって善信尼(ぜんしんに)ら三尼に供養(くよう)させた。のちに馬子は石川の宅に仏殿をつくり二尊像を移し、仏法の初めとしたとある。これが石川精舎とよばれた。

[里道徳雄]

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