石河正養(読み)いしこ・まさかい

朝日日本歴史人物事典 「石河正養」の解説

石河正養

没年:明治24.11.17(1891)
生年:文政4.8.2(1821.8.29)
幕末明治前期の国学者通称半蔵,喜三二など。号は多頭廼舎,審斎。津和野藩(島根県)藩士越智盛宣の子。同藩士石河正幸の養子となり,その娘諫子を娶って家を継ぐ。初め国学を藩の岡熊臣,大国隆正に学び,平田篤胤没後の門人となる。藩校養老館で国学教官を務め,維新後は東京に出て教導職(1872年政府が宗教による国民教化のために置いた職員)に就いた。墓所は東京青山墓地。<著作>『産土氏神考』『大祓私釈』『多頭廼舎歌文集』

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石河正養」の解説

石河正養 いしこ-まさかい

1821-1891 江戸後期-明治時代の国学者。
文政4年8月2日生まれ。石見(いわみ)(島根県)津和野藩士。岡熊臣(おか-くまおみ),大国隆正にまなび,藩校養老館の教官となる。維新後,政府の大教正をつとめた。明治24年11月17日死去。71歳。本姓は越智。通称は半蔵,喜三二,金左衛門。号は審斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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