石見銀山遺跡(読み)いわみぎんざんいせき

日本歴史地名大系 「石見銀山遺跡」の解説

石見銀山遺跡
いわみぎんざんいせき

遺跡は城館遺跡・銀生産遺跡・銀山支配関連遺跡・信仰遺跡とその他の遺跡・文化財に大別でき、間歩・墓地・城跡など一四ヵ所が国指定史跡。発掘調査は大田市教育委員会が遺跡の保護や整備事業導入を目的に、昭和五九年度から継続して実施している。出土品は大田市教育委員会が所蔵しているが、坑内で出土した鉱山用具や山吹城跡表面採集品が石見銀山資料館で展示公開されている。

〔城館遺跡〕

銀山争奪戦の拠点となった山吹城跡のほか、周辺に山吹城攻防の際に毛利氏が在陣した仙山頂上の仙山城郭群、大内氏の築城といわれる矢滝やたき城跡がある。山吹城跡は国指定史跡。

〔銀生産遺跡〕

坑道跡、吹屋(精錬所)跡がある。坑道は仙山の表面から地下の福石鉱床と山吹城のある要害ようがい山の地下の永久鉱床が開発されたもので、おおむね標高の高い位置にある坑道ほど古い時期の開発と考えられている。例えば本谷のほん間歩、清水谷元亀げんき間歩は戦国時代末から江戸時代初頭の開発。坑道掘り以前の採掘による痕跡は仙山山頂の石銀地区で顕著に認められ、発掘調査では岩盤の鉱脈を採掘した痕跡や、分布調査で露天掘跡と思われる擂鉢状のくぼみが確認されている。吹屋跡は分布調査で鉱滓が確認されたり、文献史料から場所が特定されたものに栃畑谷吹屋跡・山神奥さんじんおく吹屋跡がある。発掘調査されたものには下河原吹屋跡、山吹城下屋敷地区で検出された吹屋跡、石銀地区で検出された吹屋跡がある。下河原吹屋跡では間口六間の礎石建物跡が検出され、建物内部の土間には要石とよばれる鉱石を砕く臼が埋込まれ、また石組の作業台や排水溝があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「石見銀山遺跡」の解説

いわみぎんざんいせき【石見銀山遺跡】


島根県大田市大森町ほかの広範囲に分布する鉱山遺跡。石見銀山は世界有数の銀鉱山として、約400年間採掘されてきた。本格的に銀の採掘が始まったのは、1526年(大永6)と伝えられる。戦国時代には大内・尼子(あまご)・毛利の各氏がこの銀山の争奪戦を繰り広げ、毛利氏、豊臣氏を経て、徳川幕府直轄領となった。初代奉行大久保長安が着任し、この時代に掘られたのが釜屋間歩(まぶ)(坑道)、大久保間歩などで、なかでも大久保間歩は全長870mあり、入り口から約100mまでは高さ3m、幅2.7mもあった。石見銀山の最盛期は中世から近世にかけてで、人口は20万人にも達した。当時を物語る遺跡として、釜屋・本・福神山(ふくじんやま)・龍源寺・新横相(しんよこあい)・新切(しんきり)・大久保の7つの間歩跡、代官所跡、伝安原備中霊所、安原備中墓、大久保石見守墓、天正在銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)基壇、佐毘売山(さひめやま)神社、山吹城跡の計14ヵ所が、1969年(昭和44)に国の史跡に指定された。市内の大森町を中心にして、代官所跡や商家などの古い町並み、寺院や神社、銀山を守備するための城跡、銀を積み出した沖泊(おきどまり)(温泉津(ゆのつ)町)と鞆ヶ浦(ともがうら)(仁摩(にま)町)の港、それらを結ぶ街道などが含まれている。2007年(平成19)に世界遺産に登録された。資料館「石見銀山世界遺産センター」が2008年(平成20)に開館している。JR山陰本線大田市駅から石見交通バス「大森代官所跡」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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