日本大百科全書(ニッポニカ) 「砧(能)」の意味・わかりやすい解説
砧(能)
きぬた
能の曲目。四番目物。五流現行曲。ただし金春(こんぱる)流は昭和の復曲。「かやうの能の味はひは、末の世に知る人あるまじ」「無上無味」と『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に語り記されている世阿弥(ぜあみ)の自信作。作詞・作曲ともに比類のない名作である。九州芦屋(あしや)の某(ワキ)は、訴訟のための在京が3年に及ぶ。故郷に派遣された侍女の夕霧(ツレ)を迎えた妻(シテ)は、夫の忘却を恨み、ひとり寝のつらさを訴え、砧を打って夫への思いを慰めようとする。今年も帰れぬとの便りの到着を夫の心変わりと絶望した妻は、ショックのため寂しく死んでいく。亡霊とでも再会したいと願う夫の弔いに、あの世からやってきた妻の霊(後シテ)は、地獄の責め苦を語り、愛を訴え、激しく夫の不実を責めるが、法華経(ほけきょう)の功徳で成仏していく。シテを中年の女の面・装束で演ずるか、新婚まもない年齢に設定するかで、演出は大きく異なる。前半を現在能、後半を夢幻能とし、ツレの若い秘書役を夫婦の間に配した、世阿弥の野心作であり、今日ではパリ公演でも絶賛されるほどの曲だが、江戸時代には謡だけ伝承され、能としての上演が絶えていた時期もあった。
[増田正造]