社会主義インターナショナル(読み)シャカイシュギインターナショナル(英語表記)Socialist International

デジタル大辞泉 の解説

しゃかいしゅぎ‐インターナショナル〔シヤクワイシユギ‐〕【社会主義インターナショナル】

1951年に結成された社会民主主義諸政党の国際組織。第二次大戦時に消滅した第二インターナショナルの流れをくむ。本部はロンドン。SI(Socialist International)。
[補説]主な加盟政党社会民主党(日本)・労働党イスラエル)・社会党フランス)・社会民主党ドイツ)・労働党(英国)。

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精選版 日本国語大辞典 の解説

しゃかいしゅぎ‐インターナショナル シャクヮイ‥【社会主義インターナショナル】

(インターナショナルはinternational) 一九五一年に結成された社会党・社会民主主義政党の国際的組織。コミスコ国際社会主義者会議委員会)を母体にしたもの。本部ロンドン。社会主義インター。

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

社会主義インターナショナル (しゃかいしゅぎインターナショナル)
Socialist International

第二インターナショナルの流れをくみ,1951年6月,西ドイツのフランクフルト・アム・マインで結成された社会主義・社会民主主義諸党のゆるやかな国際連絡協議機関。COMISCO(コミスコ)(国際社会主義者会議委員会)が前身である。日本からは,社会党と民社党が加盟した。議長は76年からW.ブラント(西ドイツ社会民主党),現在(1997)はモロワPierre Mauroy(フランス社会党),加盟政党は97年現在146政党(約100ヵ国)で,かつての西欧中心から世界組織に発展した。正式メンバー以外に準加盟政党や諸政治グループが存在している。同インターのおもな機関は総会,幹事会,事務局(ロンドン)である。一国一党が原則である。

 第2次世界大戦後,ヨーロッパの社会主義者,社会民主主義者は,資本主義共産主義を排して,第三の道をめざした。しかし,冷戦の激化,東欧における社会民主主義諸党の共産党への強制合併のなかで,多くはアメリカとの同盟に踏み切り,反共的な性格を明確にした。同インター結成の主力はイギリス労働党,フランス社会党,スウェーデン社会民主党,オランダ労働党,西ドイツ社会民主党,オーストリア社会党など西欧諸党であり,それに東欧の亡命政党も加わった。イタリア社会党ネンニの下で社共共闘路線を唱え,1949年COMISCOを除名されたが,のちに復帰した。しかし冷戦終結後のイタリア社会党の没落は,社民化した左翼民主党(旧共産党)が同国際組織に加盟することを可能にした。結成総会には34党,106人の代表が集まり,資本主義と共産主義に挑戦する〈フランクフルト基本宣言〉が採択された。この宣言では,国際共産主義は新しい帝国主義の補助機関だとし,〈社会主義は民主主義を通じてのみ実現され,民主主義は社会主義を通じてのみ完成される〉ことを強調,民主的社会主義の理念を明示した。しかし70年代以降,二つの大きな変化がみられるようになった。第1は,東西の緊張緩和(デタント)を通じて,社会主義インターの反共性が薄められ,東西の協調,交流が加盟諸党によって支持されるようになったことである。第2は,70年代の後半から,北欧・中欧勢に対して,フランス,スペインを中心とした南欧諸党の発言力が相対的に強まったことである。同時にヨーロッパ中心主義から脱却して,南北問題へのアプローチのなかで,ラテン・アメリカやアフリカ諸党の比重が高まり,南の国の貧困や社会的解放がしだいに大きなテーマになっていった。77年12月,アジアで初めての首脳会議が東京と横浜で開催され,核軍縮と核拡散防止の促進,自由と人権抑圧への憂慮などをうたった〈東京宣言〉が採択されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

社会主義インターナショナル
しゃかいしゅぎいんたーなしょなる

1951年7月、コミスコのフランクフルト・アム・マイン大会で、これを発展的に解消して設立された、社会民主主義政党の国際組織。第一次世界大戦前の第二インターナショナル、戦間期における社会主義労働者インターナショナルの流れを引き、国際共産主義運動と対抗した。2004年の正会員は89か国107政党で、日本からはかつて日本社会党と民社党が参加していたが、2004年現在では社会民主党が加盟している。イギリス労働党、ドイツ社会民主党、フランス社会党などが主要なメンバーで、資本主義の改良と福祉国家建設の立場をとる。76年ジュネーブ大会で新規約を採択、77年12月には東京で首脳会議が開かれた。1989年、社会民主主義を「自由、社会的な公正、連帯を目ざす国際的運動」と規定した社会主義インターナショナルの基本宣言(ストックホルム宣言)を採択。第二次世界大戦後、ヨーロッパの社会民主主義政党の多くが政権に参加し、1989年の東欧革命、91年ソ連解体による国際共産主義運動の解体で、現代の社会主義の主流となった。

[加藤哲郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

社会主義インターナショナル
しゃかいしゅぎインターナショナル
Socialist International

社会民主主義政党の国際組織。コミンフォルムに対抗して組織されたコミスコが,1951年7月西ドイツのフランクフルトアムマインで開かれた第4回大会で発展的に解消し,ただちに結成された。第1次世界大戦勃発に際して消滅した第2インターナショナルの系譜をひく。イギリス労働党,フランス社会党,ドイツ社会民主党,オーストリア社会党,イタリア社会民主党など西・北欧の社会民主主義政党を中心に,アジアのいくつかの社会党,東欧などの亡命社会民主主義諸政党など合計 50あまりの党を結集し,近年の東欧諸国の自由化を支援するなど,共産主義と区別した西欧型社会主義を推進する活動を行なってきた。日本からは,社会党と民社党が加盟。 51年7月の第1回大会で,「民主社会主義の目的と任務」と題するフランクフルト宣言を採択,資本主義と共産主義の双方と対決する方針を打出したが,ソ連圏と対決することに重点をおき,再軍備の負担に耐えるよう労働者に呼びかけた。植民地主義反対の問題をめぐりヨーロッパとアジア=アフリカ諸国の党の対立をはらむなど問題も多い。 62年にオスロ宣言を採択。その後も定期的に国際会議を開催しているが,冷戦体制の崩壊後は,それまでの国際共産主義運動との対決色が消え,資本主義体制の改良に力点を置いた方向性が定着している。本部はロンドンにあり,大会 (2年に1回) ,理事会,幹事会,事務局の機関をもつ。

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百科事典マイペディア の解説

社会主義インターナショナル【しゃかいしゅぎインターナショナル】

1951年国際社会主義者会議委員会(COMISCO)の発展的解消に伴って設立された,社会民主主義政党の国際組織。西欧色が強いためアジア地域の諸政党は批判的である。本部ロンドン。加盟政党51(1993年)。日本からは日本社会党民社党が加盟した。
→関連項目ブラント

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