社会進化論(読み)しゃかいしんかろん(英語表記)social evolutionism

精選版 日本国語大辞典 「社会進化論」の意味・読み・例文・類語

しゃかいしんか‐ろん シャクヮイシンクヮ‥【社会進化論】

〘名〙 社会は歴史的かつ必然的に一定の方向にむかって進化・発展してゆくとする学説。スペンサーはその代表的思想家。→社会ダーウィニズム

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改訂新版 世界大百科事典 「社会進化論」の意味・わかりやすい解説

社会進化論 (しゃかいしんかろん)
social evolutionism

今日,社会進化論は,社会はしだいに進化し進歩するという社会理論一般を指し,C.ダーウィンの進化論を直接社会現象の説明に適用するいわゆる社会ダーウィニズムsocial Darwinismとは別物であるとする暗黙了解がある。しかし歴史的にみると,比較的最近になるまで両者区別は存在しなかった。代表的な社会ダーウィニストといわれるキッドB.Kiddが著した本の題名が《社会進化論》(1894)であったのがよい例である。この社会ダーウィニズムをも含めた社会進化論は,ダーウィンの《種の起原》出版の直接の波紋が一巡した1870年代ころから多出しはじめ,第1次世界大戦あたりまでおおいに流行する。当時の人たちにとって進化論を認めることは,一科学理論の承認にとどまらなかった。進化論の承認は,キリスト教教理の否定ばかりか,これに立脚した世界観,社会観,生活規範の崩壊をも意味した。それゆえ進化論の啓蒙が成功すればするほど,旧来の体系に代わるものとして,高等といえども人間も生物である以上,これが織りなす社会にもダーウィン的原理は貫徹しているはずだとする信念も広まったのであり,これが社会進化論流行の基本要因である。

 これには二つの流れがあった。一方の代表はイギリスのH.スペンサーであり,彼は,社会は生物進化と同型の原因と理論によって,不可避的に進化し進歩すると考えた。南北戦争後のアメリカは保守的色彩が強まり自由放任経済が歓迎されたため,スペンサーの思想はイギリスでよりもアメリカで受け入れられた。A.カーネギーをはじめ多くの経済人や知識人が〈適者生存〉(スペンサーの造語)や〈生存競争〉ということばを口にした。アメリカのスペンサー主義の代表は社会学者W.G.サムナーであり,彼は経済社会への国家の介入は極力退けるべきだと主張した。社会進化論は英米系が中心だという印象が強いが,社会ダーウィニズムをも含めて考えるとすると,もっと太い流れがドイツにあった。ドイツにおける進化論啓蒙の最大の功労者はE.H.ヘッケルである。彼においては,進化論はあらゆる現象の根本原理となり,世界のいっさいは一元的な〈もの〉の進化生成発展の結果だとする〈一元論〉を展開して,ドイツ思想界に圧倒的な影響を与えた。生得的能力差と生存闘争が人間社会の基本だとするヘッケルの社会観には,ドイツの社会ダーウィニズムの虚無的な性格がよく表れている。そしてヘッケル以外にも,L.グンプロビチ,ラッツェンホーファーG.Ratzenhoferの闘争を重視する社会学派,シャルマイヤーW.SchallmayerやプレッツA.Ploetzの優生学的主張,A.アモンのような楽天的な競争社会観など,多くの生物学主義的社会理論が輩出した。なかでも1900年の〈国家の国内政策の発展およびその立法に関して,われわれは進化論の原理から何を学ぶか〉というA.クルップの懸賞問題は,この思想の広範な浸透を象徴する事件として有名である。

 欧米における進化論の啓蒙期と明治の西欧思想のとり入れ時期とが重なったため,日本には大量の西欧思想の一部として,最新の社会ダーウィニズムも流入した。その代表は東大総長,貴族院議員を歴任した加藤弘之である。彼は《人権新説》(1882)を著して,それ以前の自説を撤回し,人間においても生存闘争による優勝劣敗は必然であると力説した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「社会進化論」の解説

社会進化論(しゃかいしんかろん)
Social Darwinism

19世紀後半から20世紀初頭にかけて流行した社会思想で,ダーウィンの生物進化論(生存競争,自然選択,適者生存の考え方)を人間社会に適用しようとするもの。ハーバート・スペンサーやウィリアム・G.サムナーらが唱えた。自由放任主義人種差別を肯定し,欧米の帝国主義支配を正当化する一方で,社会福祉を否定し,貧富の格差を当然視する主張を展開。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「社会進化論」の解説

社会進化論
しゃかいしんかろん

生物学における進化の考え方を社会に適用し,社会がより高度なものに進化することを説いた学説。ダーウィンの進化論に触発され,1860年代からイギリスの社会学者スペンサーらによって唱えられた。70年代末頃から加藤弘之・外山正一(とやままさかず)により日本に紹介され,加藤の「人権新説」(1882刊)にみられるように天賦人権論に対抗する思想として利用され,弱肉強食・優勝劣敗の考え方が国家主義・帝国主義の思想と結びついた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会進化論」の意味・わかりやすい解説

社会進化論
しゃかいしんかろん

社会ダーウィン主義

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世界大百科事典(旧版)内の社会進化論の言及

【社会発展】より

…この変化が漸進的で量的なものなのか,それとも革命的で質的なものなのか,また,この変化が望ましい状態に向けての変化であるのかどうか,あるいはまた変化の原因が社会の内部にあるのかそれとも外部にあるのか,などについて論者の意見は異なる。 この変化の過程を一定の方向に向かっての直線的で累積的なものとしてとらえるのが社会進化論の立場である。その初期の提唱者スペンサーは生物進化論の影響のもとに,社会の進化を強制的協力の支配する軍事型社会から自発的協力が支配する産業型社会への移行とみた。…

【スペンサー】より

…ロンドン・バーミンガム鉄道の技師(1837‐45)および《エコノミスト》誌の編集部員(1848‐53)を経て,1853年以後死ぬまでの50年間はどこにも勤めず,結婚もせず,秘書を相手に著述に専念した。大学とは終生関係をもたない在野の学者であったが,著作が増えるにつれて彼の名声はしだいに高まり,とりわけその社会進化論自由放任主義はJ.S.ミルや鉄鋼王A.カーネギーをはじめ多くの理解者,信奉者を得て,当時の代表的な時代思潮になった。晩年は栄光に包まれただけでなく,その思想はアメリカにW.サムナーのような有力な後継者を見いだして,1920年代アメリカの社会学,社会思想の中枢をなした。…

※「社会進化論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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