祖国雑記(読み)そこくざっき(英語表記)Otechestvennye zapiski

改訂新版 世界大百科事典 「祖国雑記」の意味・わかりやすい解説

祖国雑記 (そこくざっき)
Otechestvennye zapiski

19世紀のロシアの月刊誌。《祖国の記録》とも訳す。同名の雑誌は2度出ており,最初の1820-30年にはスビニインP.P.Svin'in編集・出版で,歴史的資料を多く掲載した。2度目の39-84年刊のものが有名で,この間,同誌は2度の高揚を見せた。最初クラエフスキーA.A.Kraevskii(1810-89)が編集・出版し,39年末から46年初めまでベリンスキー批評を担当,西欧派論客が多く執筆した。68年からN.A.ネクラーソフ,サルティコフ・シチェドリン,エリセーエフGrigorii Z.Eliseev(1821-91)が事実上編集し,ネクラーソフの死(1877)後,ミハイロフスキーが加わった。《現代人》誌廃刊後,進歩的雑誌の代表となり,70,80年代にナロードニキ主義の合法機関の役割を果たした。《資本論》ロシア語訳とロシア独自の発展の道の問題をめぐり,マルクスが同誌編集部あてに書いた手紙(死後公表)も有名。〈人民意志〉派によるアレクサンドル2世暗殺後の反動強化により,84年273巻で発禁処分を受けた。1839年以降の寄稿者のなかには,レールモントフゲルツェンツルゲーネフ,ドストエフスキー,A.N.オストロフスキー,ガルシンらの名が見られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「祖国雑記」の意味・わかりやすい解説

祖国雑記
そこくざっき
Отечественные записки/Otechestvennïe zapiski

「祖国の記録」とも訳される帝政ロシアの月刊誌。第一期(1820~30)と第二期(1839~84)に分かれるが、第二期が重要。とくに1868年ネクラーソフが編集を引き受けてからは進歩派の拠点となって大きな社会的影響力をもった。すでに1840年代に自然派を称揚するベリンスキーを批評部門に擁し、西欧派が論陣を張り、レールモントフ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーらの作家が作品を発表する大雑誌(部数8000)に成長。60年代以後は雑階級の作家にページを割き、ミハイロフスキーの加入(1877)もあって文学の社会的効用を重視するナロードニキ的傾向を強めたが、84年秘密結社とのかかわりを理由に発禁。

島田 陽]

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世界大百科事典(旧版)内の祖国雑記の言及

【ベリンスキー】より

…スタンケービチのサークルでヘーゲル哲学を学び,一時期保守的な思想を抱き,現体制を擁護する論文を書いたこともあったが,ゲルツェンとの交遊を通じて,1840年の末には農奴制と専制と教会の批判者となった。以後は《祖国雑記》や《現代人》誌を中心に文壇を指導し,〈自然派〉と呼ばれる革新的文学グループを形成,ツルゲーネフやドストエフスキー等多くの作家を世に送りだした。厳しい検閲下のロシアにおいては,文学が思想を表現する唯一の場であったことから,彼は〈純粋芸術〉としての文学を拒否し,作家に高い社会的自覚を求めた。…

※「祖国雑記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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