朝日日本歴史人物事典 「神保政之助」の解説
神保政之助
生年:天保12.6.19(1841.8.5)
幕末明治期の普化尺八の奏者。名は政之輔とも書く。越後(新潟県)蒲原郡八橋村生まれ。明治10(1877)年ごろより福島の小菊派の虚無僧寺,小菊山蓮芳軒に約4年間とどまる。尺八名人の誉れが高く,明治20年代から30年代にかけての約10年間だけでも,70名余りの門人がいた。また,同22年,北海道を虚無僧行脚の途次,小樽の宿舎で師の堀田侍川(越後明暗寺最後の住職)と共同で作曲したといわれる「神保三谷」は,世に名高い名曲である。また,今日ある古典本曲中唯一の,個人の名を冠した曲として,弟子の引地古山と浦山義山が伝えた。しかし,家庭的にはあまり恵まれず,晩年は不遇であった。
(志村哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報