朝日日本歴史人物事典 「神尾光臣」の解説
神尾光臣
生年:安政2.1.11(1855.2.27)
明治大正期の陸軍軍人。諏訪藩(長野県)藩士神尾平三郎の次男。明治9(1876)年陸軍教導団卒。14年から19年まで清国公使館付として天津に勤務。陸軍部内有数の中国通といわれた。日清戦争(1894~95)では大山巌の第2軍参謀として参加。30年ドイツの膠州湾占領を機に,参謀本部は日清間の友好関係回復を図り,張之洞らの高官を説得するために神尾を中国に派遣した。32年,ヨーロッパ出張。日露戦争(1904~05)では乃木希典の第3軍の歩兵第2旅団長として出征し,負傷。41年中将となり,第9および第18師団長。第1次大戦でドイツの租借地膠州湾攻撃軍の最高指揮官として日・英軍を指揮し,青島を陥落させた。大正4(1915)年大将に進み,男爵。娘安子は作家有島武郎の妻。<参考文献>陸軍編『伝記大日本史』
(スチュワート・ローン)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報