神楽坂(読み)かぐらざか

精選版 日本国語大辞典 「神楽坂」の意味・読み・例文・類語

かぐら‐ざか【神楽坂】

東京都新宿区北東部の地名付近にある若宮八幡市谷八幡、筑土八幡で神楽を奏したところから呼ばれた。もとは牛込見付から上る坂の名で、花街として知られた。

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デジタル大辞泉 「神楽坂」の意味・読み・例文・類語

かぐら‐ざか【神楽坂】

東京都新宿区東部の地名。もとは牛込見付から上る坂の名で、花街として知られた。

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日本歴史地名大系 「神楽坂」の解説

神楽坂
かぐらざか

外堀通りの堀端から西へ上る坂で、古くは揚場あげば坂といったともいう。江戸時代には市谷御門外から西に上る坂で、坂の北側には武家屋敷が並んでいた。南側は坂下に牛込牡丹うしごめぼたん屋敷や市谷田いちがやた町四丁目代地などの町屋があり、坂上に毘沙門天を祀る善国ぜんこく寺が、中ほどにはあな八幡の旅所があった。坂は高さ三丈七尺、上り一丁、幅は上が六間、下が四間半ほどで、坂名の由来には諸説がある。一つは当地が穴八幡の旅所となる以前から、ここで同八幡の祭礼の際に神楽を奏し、また旅所ができるとたびたび神楽を奏したからという説である。ほかにも牛込御門内にあった築土つくど明神(現八幡神社)の社地が御用地となって門外へ遷座した時、揚場坂で御輿が重くなり上らなくなったので、ここで供物を備え、神楽を奏したことから揚場坂を神楽坂と称するようになったとか、市谷八幡宮の祭礼の際に牛込御門の橋上でしばらく止まり、神楽を奏するのが定例であったからなどの説がある(文政町方書上・「御府内備考」)

神楽坂
かぐらざか

はらより下佐々江しもささえ(現船井郡日吉町)に通じる峠道で愛宕あたご(現京都市右京区)遥拝所がある。

伝説によると、文明五年(一四七三)の夏から秋にかけて野々村ののむら庄に火災が頻発、九月九日道相どうそ神社例祭の御湯の儀に際して、荘内に愛宕山を拝することのできる地を捜し求め、そこで神楽を奏し愛宕明神に祈願すれば必ず火難を免れるという託宣があった。荘内三三ヵ村の村民が捜し求めた結果、原村南方の峰にこれを発見、鳥居と神楽堂を建て神楽を奏し祈願したところ、火災がなくなったと伝える。

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改訂新版 世界大百科事典 「神楽坂」の意味・わかりやすい解説

神楽坂 (かぐらざか)

東京都新宿区神楽坂1~3丁目の坂およびその周辺の地名。市ヶ谷八幡や高田穴八幡の旅所(祭礼のときの分祭所)がここに設けられ,神楽を奏したことに由来するといわれるが定かではない。江戸時代から山手七福神の一つ毘沙門天(善国寺)の門前町として栄え,商店,待合,遊郭が並んでいた。神楽坂は明治から昭和初期まで山手随一の盛り場となり,尾崎紅葉,山田美妙,広津柳浪ら硯友社の面々がよく花柳界に姿を見せたこともあった。また田山花袋は《東京の三十年》(1917)の中で,〈神楽坂の通り……依然として昔のまゝである。……今でも矢張,賑やかな縁日が立つて〉と記しているが,その縁日と露店のにぎわいは有名であった。その後,島村抱月ら早稲田派の出入りも目だったが,昭和に入ってから盛り場としてはしだいに相対的地位が下がった。第2次世界大戦で戦災をうけたこともあって地元中心の商店街的要素が強くなったが,現在も毘沙門天付近にはかつての花街の風情は残っており,周辺には出版社などの会社も多く,また営団地下鉄(現,東京地下鉄)東西線の神楽坂駅の開設(1964)などにより,にぎやかさをとり戻している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神楽坂」の意味・わかりやすい解説

神楽坂
かぐらざか

東京都新宿区北東部の一地区。江戸城外堀を守る牛込見附(うしごめみつけ)から山手(やまのて)台地へ上る坂の名が地名となった。東京地下鉄東西線神楽坂、同東西線・有楽町線・南北線飯田橋、都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂、JR中央線飯田橋の各駅に近い。江戸時代は武家屋敷と寺社地であったが、明治の中ごろから商店街ができた。関東大震災(1923)後から花街として繁華を誇るようになり、昭和初期には早稲田(わせだ)派の文学者、演劇人たちによって広く紹介され、新宿をしのぐといわれた。毘沙門天(びしゃもんてん)の縁日にはとくににぎわったが、第二次世界大戦で戦災にあい、いまは商店街に変わり、料亭のたたずまいや飲食店の多いことが当時をしのばせる。東京理科大学がある。

沢田 清]


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百科事典マイペディア 「神楽坂」の意味・わかりやすい解説

神楽坂【かぐらざか】

東京都新宿区東部にある坂名,および付近の地名。東の坂下は牛込見付。武家屋敷町であったが,坂上の毘沙門(びしゃもん)堂を中心ににぎわい,明治以後商店街,三業地として発展,新宿と並び山の手の二大盛り場となった。戦災にあい衰微したが商店街として復興。
→関連項目牛込

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神楽坂」の意味・わかりやすい解説

神楽坂
かぐらざか

東京都新宿区北東部の地区。 JR飯田橋駅付近の牛込見附から西方山手台地に上る坂の名が町名になった。明治の頃からの古い繁華街で,坂上の毘沙門天の門前町として発達した。付近には筑土八幡などの社寺が多く,地名の由来も祭礼のとき,御輿で神楽を奏したことによる。

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世界大百科事典(旧版)内の神楽坂の言及

【牛込】より

…谷の多い武蔵野(山手)台地からなる。古くより牛込の地域名が早稲田から戸山原方面にかけてあったが,1878年の東京市15区制により,神楽坂市谷地区などを含む牛込区が設置された。1947年,四谷,淀橋両区と合体し,現在の新宿区の一部となったが,のち住居表示の変更によって行政名からは姿を消し,今では,この旧牛込区の範囲を指すことが多い。…

※「神楽坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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