福島潟(読み)ふくしまがた

日本歴史地名大系 「福島潟」の解説

福島潟
ふくしまがた

現在の豊栄市域の大部分を占めていた潟湖。かつては北の島見前しまみまえ潟とつながり、越の海とよばれる大きさをもっていた。正保国絵図に福島潟横三一町・長一里八丁半・深六尺七尺、島見前潟横五町・長一九町・深一丈とあり、内陸部から安野あんの川・本田ほんだ川・米倉よねくら川・佐々木ささき川などの中小河川が流入し、両潟の水は一本の太い川で阿賀野川へ排水されている。宝暦期(一七五一―六四)に福島潟を一部干拓した頸城くびき鉢崎はつさき(現柏崎市)の山本丈右衛門の干拓経過上申書(豊栄市役所蔵)には、貞享年中(一六八四―八八)の「潟内水面五千八百町歩」とある。福島潟の水は唯一の排水路である新井郷にいごう川を通じて阿賀野川に流出していたが、ひとたび阿賀野川が氾濫すれば、逆流によってたちまち湖面が上昇する常襲的な水害地帯であった。湖畔農家は船を所持して水上交通に利用するとともに、魚や鳥、あるいは菱・蓮根などを採っていた。また湖岸の草生地は入会秣場として利用していた。

福島潟干拓の最初の画期は、紫雲寺しうんじ(現北蒲原郡)の干拓に伴って行われた享保一五年(一七三〇)の阿賀野川まつさき放水路の開削であった。これ以前にも新発田しばた町近辺、真木まき山麓、阿賀野川右岸などに点在していた古村から潟に向かって徐々に切添え的な開発が進められてはいたが、その歩みは遅々としたものだった。松ヶ崎放水路の開削、また翌年の洪水のため放水路が当初の予定より大幅に拡幅されたことで、阿賀野川の水が大量に日本海に流出するようになり、福島潟の湖水も大幅に減少し、干拓も一挙に促進された。山本丈右衛門によれば、これによって「草生水面共ニ只今弐千町歩程ニ」なったという(前出上申書)。貞享年中のおよそ三分の一に縮小したことになる。

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改訂新版 世界大百科事典 「福島潟」の意味・わかりやすい解説

福島潟 (ふくしまがた)

新潟市北東部,旧豊栄(とよさか)市にある潟湖。越後平野北部の砂丘内側に形成された潟湖群のなごりで,かつては北にあった島見潟と連続していた。江戸時代中期に新発田(しばた)藩により加治川の瀬替えと,松ヶ崎付近の砂丘を開削した阿賀野川分水路が設けられ,島見潟,福島潟周辺の排水は良好となった。藩は出願人に請け負わせて干拓を進めたが完成に至らず,1790年(寛政2)幕府は水原(すいばら)の地主市島徳次郎らの出願を許可し開発にあたらせた。事業は福島潟に注ぐ太田川,新発田川の砂丘側への瀬替えと,排水河川である濁川(現,新井郷川)の阿賀野川下流への付替えを中心とした。これにより島見潟は干拓され,福島潟も一部を残し1832年(天保3)までに約1500haが干拓された。新田開発は事業にたずさわった地主への土地の集中を生み,市島家は越後有数の大地主となった。

 1913年には加治川分水路が完成,25年には新井郷川を阿賀野川から切り離し直接日本海へ落とす工事が完成,61年には新井郷川に動力排水機場が設けられた。66年から10年間に及ぶ国営干拓事業により192haが干拓され,湖は遊水池として面積1.7km2を残すのみとなった。オニバス自生地ヒシクイ飛来地としても知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「福島潟」の意味・わかりやすい解説

福島潟
ふくしまがた

新潟県新潟市北区の東部にある潟湖(せきこ)。かつては蒲原(かんばら)砂丘裏のラグーン地帯の中心をなしていた潟湖群の名残(なごり)で、第二次世界大戦前までは周囲8キロメートル、面積4.6平方キロメートルの沼沢地をなしていたが、干拓されて潟は1.69平方キロメートルに埋め立てられた。近世新発田(しばた)藩領に属し、北蒲原平野の洪水調節湖として重きをなし、また排水溝をなす新井郷(にいごう)川は新潟港までの葛塚(くずつか)通船路として舟運の便が開けていた。宝暦(ほうれき)(1751~1764)ごろから潟端の新田干拓が盛んとなり、多くの新田村も誕生した。また、野鳥や渡り鳥の繁殖地として、1973年(昭和48)日本最初の鳥類観測ステーションが設置された。

 湖面は、1966~1975年国営干拓事業により192ヘクタールが干拓され、169ヘクタールの農地ができた。減反政策により所期の目的であった水田化は中止され、畑作農への転換に苦労している。

[山崎久雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福島潟」の意味・わかりやすい解説

福島潟
ふくしまがた

新潟県中部,新潟平野の北部にある新潟市北東部,阿賀野川加治川の中間に位置し,北区に属する。面積 1.9km2。宝暦年間 (1751~64) に一部が干拓された。 1966年国営干拓工事が本格的に始まったが,減反政策での土地利用をめぐって長い間紛争が続いた。

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デジタル大辞泉プラス 「福島潟」の解説

福島潟

新潟県新潟市北区東部にある海跡湖。1960年代から70年代にかけて国営干拓事業が行われ、現在の面積は約1.93平方キロメートル。周辺は自然公園として整備されている。オニバス自生地の北限で、オオヒシクイなど多数の野鳥が飛来する。

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事典・日本の観光資源 「福島潟」の解説

福島潟

(新潟県新潟市北区)
21世紀に残したい日本の自然100選」指定の観光名所。

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