福田保(読み)ふくだほ

日本歴史地名大系 「福田保」の解説

福田保
ふくだほ

加古川に東条とうじよう川が合流する地点の北東方、現在のやしろ町福田地区を中心とする同町南部地域および小野市北西部に比定される。当保関連の地名で史料的に確認できるものとして、現社町の山国やまくに上田うえだ大門だいもんおよび西古瀬にしごせ・中古瀬・東古瀬にあたる古瀬がある。また現小野市復井ふくい町に福田山金剛こんごう寺があり、同寺の山号からして復井町付近が福田保に含まれていた可能性もある。

建久三年(一一九二)九月二日の播磨国留守所符案(早稲田大学図書館蔵)によると、留守所は大部おおべ(現小野市)との境界について宣旨に任せて新儀の妨げを停止するよう福田保に命じている。同年八月二五日には大部庄の朽損じた四至示を、旧跡に改めて立てよとの命が出されており、四至の北限は「南条」になっている(「官宣旨案」浄土寺文書)。この南条なんじようは文明一〇年(一四七八)当時は「播州福田保南条」とみえており(「政所賦銘引付」同年九月三〇日条)、大部庄との境界にあたる現小野市古川ふるかわ町の東条川北岸付近と推定される。なお「吾妻鏡」文治四年(一一八八)六月四日条に五月一二日の後白河法皇院宣が記され、そのなかで播磨守護梶原景時の「福田庄」違乱の停止が命じられている。福田保の成立時期は不明であるが、これ以後ほとんど福田庄がみえないことから、同庄は福田保として国衙に収公されたものと思われる。建武五年(一三三八)六月日の島津忠兼軍忠状(越前島津家文書)によると、同年四月南朝方丹生寺の兵が福田庄に乱入しようとして忠兼と三草みくさ(現社町)で戦ったというが、この福田庄も福田保と同義か。

福田保
ふくだほ

現島根県加茂かも光明こうみよう寺所蔵の朝鮮鐘の応永一五年(一四〇八)一一月二日付の第二次追銘に「同国福田保福田山報徳禅寺」とある。しかし報徳ほうとく禅寺の所在地は現在不明であるため、この鐘銘からは福田保の位置は明らかでない。天文二年(一五三三)二月五日、尼子経久は「伯州相見郡福田保犬田村」のうちから三斗六升入りの俵で五〇俵の地利を出雲日御碕ひのみさき神社(現島根県大社町)に寄進している(「尼子経久寄進状」日御碕神社文書)。この寄進状から福田保は犬田いんだ村を含む地域であることがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福田保」の解説

福田保 ふくだ-たもつ

1892-1974 大正-昭和時代の外科学者。
明治25年1月20日生まれ。病理学から外科学に転じ,三楽病院外科医長などをへて,昭和22年母校東京帝大の教授となる。のち順天堂大教授,45年杏林(きょうりん)大の新設で同大学長。昭和49年7月11日死去。82歳。茨城県出身。

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